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第六節 死に急ぐ友

あの日、夜のミーティング場に入ると、そこに人影はまばらだった。仲間が死んで皆の多くが葬式に行ってしまったのだという。去年の暮れにも仲間が死に、年が明けてTが死んで、まだ数ヶ月しか経っていないのに、今度はまた別の仲間だという。

それにしても仲間たちはどうしてこんなにも簡単に死んでいくのだろう。わけても心に残ったのは親しかったTの死だった。どんなふうに死んだのか、誰に聞いても知らないという。わかったことと言えば、遺体を引き取る人がいなくて、警察が施設に問い合わせてきたということだけだった。

Tは施設の体制に反抗して、施設を出ていって久しかったので、施設は彼を引き取らなかったのだろう。それにしても誰も引き取る人がいないというのは、いかにも不可解だった。自分が社会を捨てたことによって、最後は自分が社会に捨てられた、とでもいうのだろうか。

Tは医者にアル中と診断されて、行政の世話で施設に来たというが、誤診で入所したとでもいうように、そのことを笑っていた。彼がアル中であることはその風貌から何とはなしに察しがついたが、本人はいささかも自分が病気だとは思っていないふうで、酒などいつでも自分の意志で止められるという口ぶりだった。

そんな彼が入所した当初、案内役に当てがわれたのは他ならぬ私だったが、彼は人に伴われて行動しようとはしないので、私はいつも振り回されて困ったものだった。彼はそれでいて少しも悪いことをしているつもりはなく、ただ本当に人に対してまったく無関心なのだった。

私はそんな彼の孤独な仕草に以前の自分を見るようで、苦笑するより他はなかった。Tは集団の関わりを受け流しながら、いつの間にか集団から抜け出し、自分の孤独を確保して、独り悠々自適に過ごしていた。それでいて、普段はインテリめいた、落ち着いた人柄で、少しく惚けた人気者ですらあったのだ。

とはいえ、皆が恐れていた施設長に対して反抗的な態度を露わにすることもあって、皆からは少しく風変わりな変人と思われていた。面白いことに、仲間たちはTと私が似ている、と言って笑った。

もとはと言えば、Tはエリートの大学にいたというが、落ちこぼれて泥臭いが、自由で、反体制的な新聞屋になっていたという。そのうち彼の考え方がわかってきた。彼は「自分の考えを使ってはならない」という施設の体制を心から軽蔑していた。Tは自我の独立に安んじて、決して権威というものを認めようとはしなかった。

そして、なかんずく、その唯物論によって神を否定した。その依怙地なまでの反骨精神は、何かしらその中に六十年代の学生運動の物言いを残していたが、運動について語ることはなかったし、自分の絶望や挫折について語ることもなかった。