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死に急ぐ友

アル中は、酒を断たれていると、言い知れぬ恐れと戦きに襲われ、自分を守ろうとして孤独になろうとするという。そして、自分だけの世界に閉じ籠もって酒に浸ろうとするという。酒は孤独をとこしえの安らぎに変えてくれる。アル中は、この偽りの実存感覚が欲しくて、酒を飲み、酒に溺れて、死んでいくのだ。恐らくは、Tもそんな孤独なアル中だったのだろう。

それは私にしても同じことだった。田舎で飲んでいた頃の私は、しらふでいると、酷く苛立って不安に駆られ、社会的な行動のすべてに耐える力を失っていた。人とのわずかな会話にも耐えていられないで、しゃがみ込んでしまうこともあれば、ささいな諍いで暴れることもあった。

そのうち暴れそうになると、落ち着こうとして、森の中に逃げ込んで孤独と酒に溺れていった。そして、いつしか当てどなく風雪の山野にさ迷い出て、社会から疎外され、生きていけなくなっていった。私はそんなふうに酔いどれて、孤独の中で死線をさ迷ったのだ。

ところで、施設や病院のような集団生活に於いては、確かに、孤独になれないことによって飲まないですみ、死ななくてすむということが起こる。なぜなら、孤独になれないことによって、自分自身から疎外されるのに伴って、飲酒欲求からも隔離されるからである。

しかし、Tのように、自分の孤独に自信と誇りを持っていて、集団を離れていくアル中は、孤独の罠に填まって死んでしまうということが起こる。なぜなら、孤独は自分自身への即自化であることによって、飲酒欲求そのものとなることだからである(Tの孤独は危ういものだったのだ)。

無論、酒によって孤独に安んじてきたアル中には、酒がなければ孤独に耐えていられなくなるということなど、思いもよらないことなのだ。そこで酒が切れて孤独になれば、無自覚のまま、その孤独を平安に変えようとして、つい酒に手を出してしまう。そして、この一杯が呼び水となって、あとは遅かれ早かれ、止まらなくなった酒を致死量まで飲み続けて、死んでいくのだ。