第二章 がん細胞との会話
14 「がんを甘く見るんじゃない」と言われ
「がんを甘く見るものじゃない」そう双子の妹に言われました。妹も乳がんの摘出手術を経験しています。それからもう十五年が経過していますが、自分より軽い症状だった人が皆亡くなっているというのです。
薬がよく効いていると喜んでいた知人をその一カ月後に亡くしていたり、知り合いの死が続いていたので、「がんはそんなに甘いもんじゃない」と言われました。がんを経験した人は、「再発した人がこれだけいる」というような話をすることがあります。それは経験者として、ああいうことがあった、こういうことがあったと、再発をしないように生活する術を教えてくれようとしているのです。
妹は見舞いに来られないときは、電話で私の様子を聞いて、「外に出るときはマスクをしなさいね、あなたはマスクを面倒くさがっていつもしないんだから」などとたびたび忠告をくれました。私たちは一卵性双生児で生まれてきましたが、性格が異なりました。
妹は祖母の厳しい教えを守る几帳面な性質で、私は大雑把でジッとしていられない性分でした。まったく違う魂を持って生まれてきたということは、小さいころからわかりました。妹は何でも先回りして考えるタイプなので、どちらかというと心配性なところがあり、私は物事が起きてから考えればいいじゃないかという楽観主義なので、リズムがまるで異なります。
入院中、あまりに心配性なことを言うので、「あなたさ、私に死んでもらいたいの? そんなマイナスの話ばっかりして私が嬉しいわけないでしょ?」と言ってしまったことがあります。彼女にしてみれば自己管理が甘い姉が気がかりで仕方なくて、言ってくれていたはずなのに……。
それから妹はそういう話をしなくなりました。他の妹や弟もちょこちょこ来ては、「大丈夫? 大丈夫?」と聞きました。私が「大丈夫なのよ、心配なんかしなくていいのよ」と言っても心配しました。
もしかしたら当の本人より周りのショックの方が大きかったのかもしれません。その受け答えがあまりに居丈高だったと、今は反省しています。しかし私はその期に及んでも、「どうにかなるさ」としか考えていなかったのです。
周囲から心配や
忠告をされながらも、
どうにかなると
考えていた。