10月19日(月)

手術日決定

ようやく良子の手術日程が決まった。

30日入院、11月2日の手術。

「がん研 有明病院」のセカンド・オピニオンを受けた先生ともつながるB先生の診察室を訪ねた。患者に医師の「腕」は分からないので、これは一つの安心ではあるが、実際には何の保証にもならない。医者の腕は、患者には比較しようがないのである。患者は常に一発勝負、復元やり直しはできない。

9月12日に入院して、手術日まで50日になる。実に悠長な対応に思えるが、緊急手術で開腹されていたとして、それが良かったのかどうか。それが良かったかもしれない。分からないのだ。

旧友と久しぶりに電話で話し合った。

奥さんががんだったので様子を聞いた。「がん研 有明病院」で大腸がん、腹腔鏡下手術を受けてから6年、現在も元気である。

「がんと分かっていた訳ではないが、かつてがん研で治療を受けた知人の紹介でがん研のセカンド・オピニオンを受けた。画像を見るなり、これはがんだ、即日入院、あっという間に手術になった」

「うちは50日や。のんびりしとるなあ」

「そりゃ、そんなに緊急と思うとらんのやろ」

「うん、そんな風にも、希望的にとっている」

夜、良子に話したら、

「赤十字は、どうせ手遅れや、思うとるんちゃうかな」

という。

いずれにせよ、もうじたばたできないのである。

B先生の印象は、医者にしては声が大きく、はきはきしていた。好感を持った。好感を持つ以外の選択はないのである。この人を頼るしかない。手術は腹腔鏡下によって行われ、入院期間は(何もなければ)1週間、11月9日の退院になる、とのことである。あっけない、と言えば言える。但し、どのような検査をしても検査だけでは見えないものがある、何があるか、やってみなければ分からない、ということであった。

要は、分からない、人の命なんて。

10月24日(土)

山百合とスダチ

先週の日曜日(18日)、日本花卉(二ホンカキ)より届いていた山百合の球根2球を、裏の傾斜地へ植えた。

球根そのものは随分前に予約注文してあったものだが、たまたま良子の手術前に届いた。私は2球の山百合を、良子の手術の無事を祈って植えたのである。無事に育つことを願う。

今日はいっぱいになったスダチを取ろうと思った。例年我が家だけでは使い切れないので人に配る。店のスダチとはレベルの違う芳醇が、喜ばれる。

この家に移って、直ちに植えたのがスダチである。ほんの小さな苗木であった。徳島生まれの人間として、スダチは、なくてはならぬものである。裏の傾斜地の一番上の部分、市道に面した場所に植えた。

既に30数年、毎年、豊かに実る。手入れは一切しない。肥料もやらないし消毒もしない。ほったらかし、完全な無肥料・無農薬である。傾斜地の上部ということで日当たりは最良、余程の適地だったのだろう。

スダチは皮がイノチ、果汁は魚にも豆腐にも漬物にも、何にでも使えるが、皮はまたあらゆるものに使え、美味である。味噌汁、豆腐、野菜サラダ、白飯、ありとあらゆるものに刻み込んで食べる。明らかに喉にも良い。

スダチによらずすべての柑橘類は、皮がイノチであると我が家では思っている。出自の分かった、農薬の恐れがないものは、我が家では徹底的に使う。

収穫そのものは剪定鋏とノコギリで、私が行う。

しかし放り投げることはできないので、下で受けてくれる者が必要である。

良子はとても元気であったし、多少は動いた方が良いと病院からも言われていたので、それを頼んだ。小さい段ボール箱であるが2箱いっぱいに取れた。まだ半分は樹に残っている。

良子に山百合の場所も教えた。

それから私とあい子は芝居見物に出かけ、夜帰ったら、良子に元気がない。顔にマスクをしている。「風邪を引いたみたい」という。私は激しく後悔した。

体調を保っておくことは、病院から強く言われていたのだ。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。