クリントンはブッシュ41代と同じ厳しい財政の現実に直面したのだった。ホワイトハウスはレーガンの野獣を飢えさせる政策にとらわれた。民主党と共和党は慎重な財政政策により、債務の対GDP比率を60パーセントに戻す必要について同意した。同意できなかったのは、目的達成のための税、支出削減、そして社会福祉改革の組み合わせをどうするかという点だけだった。

クリントンの最初の経済アドバイザーであったボブ・ルービンはクリントンにいわゆる債券自警団の新たな危険性につき警告を与えた。自警団とは主要銀行の債券ディーラーと機関投資家をいい、彼らはインフレの脅威に過敏症的だった。

1990年代の自警団の血気盛んな時期は、2000年代の初期デフレが気になる時期よりずっと以前のことだ。当時は連銀が政府債務を使って1970年代にしたように貨幣量を増加させかねないと考え、巨額の赤字はインフレを引き起こしかねないと考えられていた。インフレを恐れるあまり、金利が上昇し経済成長が妨げられかねない。

ルービンはクリントンに支出を削減して増税し、赤字がまだ管理できる状態であると債券自警団に納得させるよう迫った。クリントンに最も近い政治アドバイザーのジェームズ・カービルは言った。

「もし生まれ変われるものなら、大統領か、ローマ法王か、プロ野球の4割打者になりたいと思っていた。でも今は債券業者に生まれ変わりたい。誰だって脅迫できるんだから」(5)

この言葉はビル・クリントンが大統領になった当初に直面していた現実を的確にとらえている。クリントンにとって幸運だったことに、下院は民主党が1995年1月まで支配していたので、1993年の赤字削減法により増税を押し通すことができた。これで個人の最高税率は31パーセントから39.6パーセントに上がり、この状況は2017年のトランプによる減税まで続いた。クリントンはまた、防衛費を削減するといういわゆる平和の配当を享受することができた。