10月14日(水)

執刀医

一昨日12日、体育の日に、やなせたかし氏の、『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)と『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)が届いた。インターネット検索で、やなせ先生の奥さまと丸山ワクチンのことを知ったからである。

原文は東京新聞(中日新聞)に連載された、やなせたかし氏の『この道』という自伝エッセーとのことであった。更に調べてみると、それらの文章が『人生なんて夢だけど』として単行本になっていることを知った。

やなせ夫人のがんが発見されたのは1988年12月である。即手術をした。

「お気の毒ですが、奥さまの生命は長くてあと3カ月です。がんが全身に転移しています。これは既に第4期の終わりで、第1期ならば完治したと思いますが、肝臓にもびっしりとがんが転移しており、もう手のほどこしようがありません」(228ページ)

そんな状態が、里中満智子さんから、里中さん自身が使用している「丸山ワクチン」のことを聞き、
“「そんなもの効きませんよ」という医師に頼み込んで打ち始めました。”(229ページ)

“余命3カ月はあっという間に通過して元気いっぱい。地図を広げて「山は全部登ったから、次は中山道を京都まで歩いてみたい。あんたも行かない」なんて言い出したので、「いったい何が起きたんだ。奇跡というものはあるもんだ」とうれしくなりました。”(231ページ)

“1991年7月、(中略)……
カミさんの病気は一見安定しているように見えましたが、実はこのあたりから丸山ワクチンを打つのを止めていたのです。”(246ページ)

1993年11月、奥さまは亡くなる。

それにしても余命3カ月を告げられてから5年、元気に過ごされたのである。

お医者さんは、「抗がん剤がよく効いた」と言われたそうであるが、やなせ先生は、丸山ワクチンの効果であると信じておられる。

私は心の支えとして、その文章を、この目で確かめたかったのである。

本が届いたのは12日夕刻で、翌未明の3時、やなせたかし氏は逝去された。

昨日13日、「がん研 有明病院」でセカンド・オピニオンを受けた。

手術そのものは「みなと赤十字病院」で受けると決めていた。

みなと赤十字で工程に入れてもらい、それをキャンセルするのは、病院は勿論、他の患者さんにも迷惑を掛ける。がん研で手術を受ける可能性があるなら、みなと赤十字での確定をずらしてもらうのがスジだと思った。
ウロキョロして処置の遅れるのを私たちは心配した。13日、この同じ日に、みなと赤十字の工程会議があった。
私たちは、手術はみなと赤十字で受けるとA先生に約束した。

がん研の先生は私たちが持参したDVDの画面を見ながら、丁寧に話して下さった。「播種」という言葉も初めて聞いた。内視鏡ではそのようなものは見えない(外にあるのだから)。

PET-CTでも確認できないがん細胞がある、というようなことだったと思う。私たちの最大の関心事である手術の方法について、先生なら「開腹手術」と「腹腔鏡下手術」、どちらを採用するか、と訊ねた。先生は、

「私なら腹腔鏡でやるでしょう」と言った。

「(みなと赤十字病院の)技術的には、どうでしょうか?」

「みなと赤十字にはBという医者がいるでしょう。彼なら腕は確かです。かつてがん研にいて私も一緒に仕事しました」

先生が口にしたB医師の名に良子は声をはずませた。A先生が「手術をするならB先生が担当になると思います」と言うのを覚えていた。

「B先生が担当する言うてました」。

すると先生は「そうですか。では私からも推薦の手紙を書きましょう」と、私たちの主治医A先生に対して、(おそらくB医師推薦の)手紙を書いて下さった。

今日14日、9時の予約であった。

前回の経験があったので8時ほんの少し過ぎに受付を終えた。

それでも9時20分頃の呼び出しになった。

良子が、がん研先生の手紙を渡した。A先生は一読にっこりして、「B先生の予約を取ります」と、パソコンに打ち込んだ。

B先生の外来対応は月火で(ということはそれ以外は手術なのだろう)、最短の来週月曜日、19日9時を設定してくれた。

本当は6日(火)に工程会議があり、そこで担当医師も日程も決まっていたはずである。その場合はおそらく、A先生の口ぶりから、「開腹手術」になったと思う。

なぜか、それは何事もなく過ぎてしまった。

良子の状態を「緊急」と判断しなかったのなら良い状況であるが、よく分からない。

私たちにも「がん研」でのセカンド・オピニオンを受けるつもりがあったので、特に話題にしなかった。

ひょっとすれば(手際の良い病院なら)、6日に担当医師と日程が決まり、流れから、「開腹手術」になっていたと思う。

昨日13日の会議でどのような決定がなされたのか、話はそっちへ行くことはなかったし、不必要であった。

良子のことは、昨日、実はペンディングになっていたのかもしれない。

19日(月)9時に、外科外来を訪ねる。内科のA先生から外科のB先生へ、良子の命の襷は渡されたのである。

「元気になった姿を、見せに来て下さい」と、A先生は言った。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。