でもすと、家庭にまでんだしい出来事。

不運は重なり、悪い流れは家庭に波及した。十年間闘病を続けていた母の認知症が急速に進んだのだ。

ついに寝たきりになり、何回も危篤になって、病院からは見放され、家族総出で介護に当たる日々が続いた。と言っても、そのほとんどは妻による自宅介護である。

会社と家庭の窮状を知ってか、二人の娘は「いま二人で住むアパートを探しているの。大学を辞めて働きに出るから、その分生活費に充てて」と言い出した。

仕事を抱えながら昼も夜もなく付きっきりで母の看病に当たってくれた妻は、娘たちの話を聞いて、いたたまれず泣き崩れた。それでもゴールは見えなかった。

そんな地獄のような毎日から抜け出せずにいたある日、あの出来事は起こった。

深夜、一人で居間に腰を下ろす私の元へやって来たのは妻だった。その恐ろしい形相の目を見たとたん、私はぞっとした。資金繰りと看病に疲れ果てていたことも相まって、妻は完全に正気を失い、寝たきりの母の首をつかんで、

「私はどうすればいいの!」

と小さく呟いた後、

「もういいの、いっそ殺して欲しいの、お母さんと一緒に死にたいの! 死にたいの! 殺して!」

と喚いた。私は思わず

「何をするのだ!」

と叫んで、

「俺が悪かった! 俺が悪かった! 死なないでくれ!」

と懇願した。あの頃の私は、先の見えない海の底を闇雲にもがくだけの、まるで溺れかけた魚のようだった。

その後、母の寝たきりは六年半続き、家族に見守られながら他界した。十五年間にわたり献身的な看病をしてくれた妻と家族には今でも頭が下がる想いで、感謝しなければ罰が当たると感じている。

起死回生大逆転、暗中模索日々

会社のほうは、努力しても努力してもうまくいかなかった。経費を節減しようにも、これ以上は減らせないという限界にまで達していた。

しかし、私は社員や得意先、ましてや家族の前では明るく振る舞っていた。