妻は

「こんな時に夜ちゃんと寝られるなんておかしい」

とよく言っていた。

「こういう時は考えてもどうにもならない。今は寝る時間だ。寝ることに集中しよう」

と私は答えた。

根っからの楽天家が幸いしたのか、明るいムードだけは保ったものだから社員は誰も辞めなかった。赤字になっても給料は減らさず、遅延もせずに支払ったし、ボーナスもさすがに金額こそ減らしたもののきちんと支給した。

その代わり上野ビルディングに支払う家賃二百万円は棚上げしてもらった。赤字のうえに社員が辞めたらどうなるか。内部から崩壊していったら、今までやってきたことのすべてを失う事態になる。後には引けなかった。

暗中模索の中、私は一つの信念を持っていた。それは「大手メーカーに真似されない市場の潜在ニーズにフィットした商品を開発することが会社を救う」と確信していたのだ。

私が業界で初めて開発したカップみそ汁は市場の潜在ニーズにフィットし、当社のベストセラー商品になった。

しかし大手メーカーに真似されて市場を奪われてしまったのである。二度と同じ間違いを犯してはならない。

この経験値は私のその後のマーケティング戦略を進めるうえで大きな原動力になった。商品、市場、販売ルート、宣伝、そのすべてを大手メーカーと差別化することの大切さを体で学んだのである。

元来、好奇心が強くショッピングが好きな私は、食品に限らず雑貨にも興味があり、作り手の工夫に関心を持っていた。いち早くPB商品やカップみそ汁を開発したのもその延長線上にあったかもしれない。

「いずれにせよ、大手が真似できないヒット商品を開発できれば会社を発展させることができる」

「これしかない」

「何とかしなくては」。

葛藤の日々が続いた。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『復活経営 起業して50年 諦めないから今がある』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。