ご当地釡めしのヒットで一食セットもベストセラーに。

「陶器釡めし一食セット」の販売に苦労していたら、得意先から思わぬ大量の注文が入ってきた。ただし条件付きで「五種類を地方の名産品にするから産地名のシールを入れて欲しい」との要望であった。

受注が大量だったので産地名のシールを貼って出荷した。すぐに大量の注文が入ってきた。

「大元の商品は売れないのに、この得意先は何でこんなに売れるのだろうか?」

私は疑問に思った。答えはすぐにわかった。なるほど、地方の名産品である「ご当地釡めし」として売っているからだ。

これはいける! 早速、当社オリジナルの「ご当地釡めし」を作ることにした。そして、北海道から九州まで「全国名産釡めしセット」として売出したのである。

恥ずかしながら、大きなヒントを得意先からもらったことになる。私はそれまで散々商品開発だけでなく営業も経験してきたが、地方の名産品である「ご当地釡めし」にするというアイディアに気づかなかったのである。

この「ご当地釡めし」出現のお陰で初期に売れなかった「陶器釡めし一食セット」が各地方の具材を使った名産品として販売され、カップみそ汁に次ぐベストセラー商品になった。宣伝に使うポスターのタイトルは「全国釡めし祭り」で、日本地図に北海道「鮭釡めし」、青森「ホタテ釡めし」、秋田「とり釡めし」、東京「あさり釡めし」、福井「かに釡めし」、静岡「えび釡めし」、広島「かき釡めし」など全十二種類が描かれて、各地で開催されるイベントの売場で使用された。

「陶器釡めし一食セット」は、主に地方の土産店や高速道路サービスエリアの売店、道の駅などで売られた。また、地元の卸問屋などの販売業者からPBの依頼も多く、一時は製造が間に合わないくらい売れたのである。そして現在まで十五年以上続いているロングセラー商品となった。特に高速道路の売店の買物客は車で来るため、陶器釡めし一食セットは多少重くても気にしないで買ってくれるので大の得意先である。

前に述べたように、いかに優れていてもその商品の特性にマッチしたマーケティングを展開しなければ消費者は動かない。そのことを「陶器釡めし一食セット」は証明してくれた。商品の特性にマッチした販売ルート、販売先を選択して売るやり方は、多様化、個性化する市場にはトレンドとして欠かせない戦略になるに違いない。

メーカーに転身した上野食品が勝ち組になれた理由

上野食品が味噌醬油問屋から食品メーカーになり、石油パニック、バブル経済の崩壊、リーマンショックから脱して三十年以上好業績が続いた要因を総括すると次のようになると思われる。

当時、味噌醬油問屋に限らず食品問屋は同じ食品メーカーのブランド商品を扱っていたので価格競争にさらされて利益が取りにくい立場に置かれていた。しかも物流の量が多く、配送ネットが揃っている大手食品問屋には太刀打ちできず、一九九〇年代には八十パーセントの中小の食品問屋が合併もしくは倒産して淘汰されていった。もし上野食品が問屋業に固執していたならば存続はできなかったと思われる。

そのような中で上野食品が行った改革とは何か?