第二章 がん細胞との会話

「がんちゃん、ごめんなさい!」

それからどこで治療を受けようかと考え、いろいろな思いを巡らせているときに、自分の生き様について振り返ってみました。二〇一五年の暮れぐらいから家族のことでストレスを感じて、私の心と体の中にイライラが充満していました。

それを一つひとつ「ああ、こんなことがあったな」「あそこにも原因があったな」と思い出したのです。そうしているうちに今まで生きてきた中でのさまざまな摩擦を思い起こし、「結局、家族間のそういう状況を生み出したのは、自分自身のせいだったのではないか?」との思いに至りました。

「長男が可愛がっていたシベリアンハスキー犬を家庭の事情から、知人に引き取ってもらったことがあったっけ。学校から帰ってきてそのことを知った息子の目から涙が溢れた瞬間が忘れられない。あれ以来、あの子は私のことを信用しなくなったのかもしれないわね……」

「子どもたちの教育にはおのおのの考え方や自主性を大切にしてあげたいと思ってきたけど、結局は自分の考えを押し付けるように接してきちゃったかなぁ?」

もっといろいろな場面で懐を深く持ってあげられたらよかったのではないかと、あれこれ考えたのです。加えてタバコを一日パカパカ四箱も吸って、人さまには偉そうなこと言っておきながら、自分のことは省みず、文句ばかり言っていた自分。

「ああ、ああ! ちょっと正さないといけないな!」

というのと同時に、

「がん……がん……がん……人にはがんに話しかけてなんて言ってきたけど、ああ、なんだー! がんちゃん、ごめんなさい!」

と自然に言葉が出ました。

何でも人のせいにしているうちに、私は自分自身にダメージを与えて、がん細胞を増やしてしまっていたと気づいたのです。ほんの短い時間でしたが、がん化した自分の細胞に「ごめんなさい!」と真剣に謝ったとき、胸にグサッときました。

がんだって大変だったと思います。年齢が年齢ですから、ゆっくり増殖していこうとしていたのに、タバコの煙や悩みがスゴクて、けしかけられてしまったわけですから。

「がんちゃんが気づかせてくれたんだよね。傲慢な私に気づきを与えてくれてありがとう! もしがんになってなかったら、今の自分をずっとわからないままだった……」

次の瞬間、フワッと気持ちが軽くなって、許せなかった自分も含めてすべて許せるような気がしました。それから、私とがん細胞との会話が始まったのです。

「がんちゃん、私が死んだら、あなたも死んじゃうから、それじゃつまらないでしょう?」

「生かしてくれたら、私があなたを苦しませずに責任を持って溶かします。いなくならなくてもいいから、悪さをしないでください」

「でもそのためには医者も必要ですから、その方法はその都度お伝えしますね」

といった調子で、一日に数秒ほどですが、話しかけるようになりました。向こうはしゃべってくれませんから一方通行の会話です。最初は私も半信半疑でしたが、がんと話をするうちに心がどんどん楽になっていきました。

自分の間違いに

気づかせてくれた

がんに

「ありがとう」と言った。