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「困難」は成長のためにある

“Problems” existto help me grow.

13年間勤めてきた体育の教師を退職すると決めた時のことです。

当時、4歳と2歳と0歳の子供を抱えながらの最後の教員生活でした。

夫は6年間単身赴任の生活だったので、子育て中心に仕事をする生活を、私一人でこなさなくてはならないのでした。

一日24時間。

前日の夜に準備すること――。

起床の時間から次にやること――。

保育園に子供を預ける、通勤電車を乗り継ぐ、新幹線に乗車する、自転車を漕いで学校へ――。これが朝のルーティンでした。

3番目の子を出産してからわずか3か月の体だったので、授業の合間に、張ったお乳を保健室で搾りながらの日々でした。

仕事を終えると、朝の逆ルーティンで保育園へ子供を引き取りに行きます。帰宅してからは、子供のご飯に洗濯、翌日の支度をし、子供を寝かせてからイラストを描いていました。週末に帰ってくる夫も仕事をしていたため、一年間は、そのような生活の繰り返しでした。

私がイライラすると子供は熱を出しました。教師として休んではならない日に限って熱を出すのです。今考えれば、子供たちが健康でいてくれたからこそ、そんな生活ができていたのだと思います。

前もっての準備や困難なことの想定と、危機意識は常に持っていました。この一年間で、私は大いに成長できたのです。

その後、5人の子供の母親となった私は、夫の仕事のサポートを始めました。

給与計算、経理、広告制作など、それまで経験できなかった仕事に取り組みながら、多くの勉強をさせてもらいました。

そして、末の子供が5歳になった2002年から2年間、単身で子供たちと一緒に渡米することになったのです。

会社都合のアメリカ行きで、夫は日本に残らなくてはならず、私と一緒に行ったのは、下から5歳、9歳、11歳、13歳、そして15歳の子供たちです。

子供たちにとって慣れない生活で、頼れる人は母親である私だけの船出でした。

しかし、私の心はワクワクしていました。

このアメリカの生活は2年間でしたが、多くのことを学びました。

会社設立の手続きで市役所に書類を持参し、子供たちの学校の入学に関わる手続きをするなど、誰にも頼らずに全て英語でこなさなくてはなりませんでした。渡米一年目の経験で体得した私の英語力では、なかなか大変な作業でした。そんな中、最大なる困難が起こったのです。

交通事故です。