第二章 破 絶歌

進化論は科学に非ず、という無数の状況証拠

進化論を科学だと信じている人々にとって、進化と科学は今や同義語です。では「科学」とは、そもそも何なのでしょうか。手っ取り早いのは、日本国中にあるどの国語辞書でもいいのですが、まずは科学の意味や範囲、定義等々について調べてみれば一目瞭然です。

ちなみに三省堂の辞書によれば、「科学」とは「一定の方法のもとに、対象を組織的系統的に研究し、実験し、調査する学問」だそうです。しかし、進化論は実験など不可能ですから科学ではありません。

また岩波書店の広辞苑によれば、「科学」とは「世界と現象の一部を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的認識」だそうです。しかし進化論は世界存在の大前提であり、経験的に論証できるわけもなく、最初から創造主を否定しようとするための宗教概念ですから、科学ではありません。

このようにして複数の辞書からその語義を探れば「科学」とは範囲が限定的であり、方法は実験による実証を伴い、論理は合理的認識であるという枠組みに納まることを認めねばなりません。論理的側面から言えばそれは個々の経験的事例を寄せ集め、そこから一般的な結論を引き出そうとする帰納的推論です。

これは残念ながら完全枚挙の数学的証明とはなりません。例外はどこかにあるかもしれないからです。しかし演繹的に証明はできなくとも、推論によって大方の予測が可能であるということは、全ての言語によって説明される科学の定義もまた同様であろうということです。

つまり「神など存在しない」という信念を前提とする進化論が科学でないことは、自明なのです。ただ「彼らは神を知ろうとしたがらないので」(ローマ1:28)、進化論者には弁解の余地などないということになります。

教科書では、進化論を何と教えているのか?

小林弘著、数研出版『新生物ⅠB・Ⅱ』によれば「現在分かっていることは、生物はいまから三五億~四十億年前に、自然発生したらしいことと、その後生物は、進化して現在まできたことである。しかしどのように進化してきたか、また何が進化の原因となったか、すなわち進化の要因を明らかにすることは大変むずかしい。四十億年も前の進化の歴史を実験室で再現し、実証することはほとんど不可能である」(二九五~二九六頁)とのことです。

これが検定済教科書の現実です。他の教科書も似たり寄ったりです。著者の解説を私なりに要約すれば、「生物進化について現在まで分かっているのは、実は何も分からないということだけである」。

これ以外の解釈は考えられません。なぜなら「自然発生したらしい」との説明ですが、「らしい」とは推量や憶測のことであり、不確かなことを予測する時の日本語です。

しかし「その後生物は、進化して現在まできたことである」と憶測から直ちに事実であると断言するのは、科学ではありません。さらには「どのように進化してきたか、また何が進化の原因なのか、要因を明らかにすることは大変むずかしい」などとは、これ如何に? 

進化の原因も、途中経過も分からないと言いながら明らかにすることが「できない」とは述べずに、「大変むずかしい」などというのは学問ではありません。「四十億年も前の進化の歴史を実験室で再現し、実証することはほとんど不可能である」との表記はインチキです。それは絶対に不可能だからです。

科学教育の名の下に見てきたような噓を教えるな、と言わねばなりません。進化論という「死に至る病」を刷り込まれて教育される日本の子供たちの将来が末恐ろしくもあり、不憫でなりません。

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『西洋キリスト教という「宗教」の終焉』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。