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一九〇九年/一九一九年 ベオグラード

パリ、サンクトペテルブルグやロンドンには及ばないものの、ベオグラードは今やブダペストやブカレストに匹敵する都市となった。ドナウ川やセルビア中央部に開削された運河網を蒸気船が、そして最近増えているディーゼルエンジン搭載の最新型船舶がとても頻繁に航行した。それによって、麦、肉、果物の輸送と交易が容易になった。

街の郊外にある三つの飛行場では、空飛ぶ船としては最大のものである飛行船も見ることができた。これは首都ベオグラードとヨーロッパの首都の街々だけでなく、小アジア、さらには極東とも航空路を結んでいた。一九〇〇年に、ステファン三世シンジェリチ王は布告を出した。

ニコラ・テスラ社は今後二十年間租税を免除される。ただし、米国にある同社の本社並びに研究所、事業会社をセルビアに移転させるという条件で。そうすることによって、ベオグラードが天からバルカンの中心に降りてきた星のように輝いて、暗い後進性や迷信、部族どうしの憎しみに満ちた喧嘩を永遠に吹き払った。

それらの悪弊は、科学や進歩の煌めきや、良い意味でのグローバリゼーションに変わった。従って、今一九一九年に著名人マックス・プランクが他ではなく、ベオグラードで自身の最新の認識と理論を世に示すことにしたのも、もはや誰も不思議に思わない。その新たな知識は、人々の自分のまわりの宇宙についての考え方を変えることになる、と世界中の報道機関が伝えていた。

電灯の明かりとカラフルな広告で煌めいている広い通りは、いつものようにそこここに流れていく車と人々とエネルギーで満たされていた。巨大な建物、それらは都心にある国家の建物、あるいは公園、日陰を配したハイセンスな街区にある個人の住宅であったりするが、全てが新しい認識と真実を表明するのに適した自然な環境にあった。

あらゆる分野における勤勉な科学者、技術者、建設従事者たちがそういった認識、真実を明らかにしたのだった。ベオグラード見本市の開催場所では、好奇心に満ちた観客に対して、いつでもわくわくするような発明の数々を見せていた。テスラと彼の会社に対する密かな資金援助に基づいてドナウ川流域のカラブルマ、ミリイェヴォ、ヴィシュニツァといった地区には、最新の発明品を生産する工場が次々に建設され、広く世界市場に製品を供給していった。