結果としてもたらされた豊富な資金によってセルビアは興味深い国となったのも事実だが、尊敬すべき仕事で生活する人以外にも、たくさんの一流二流芸術家たちに加えて、ギャンブラー、ブローカー、あらゆる種類の怪しげな人達、犯罪者、スパイといった人々も現れた。

首都警察と近衛憲兵隊は、巷で取り締まりを行うことができるように厳格に組織され配置されていた。犯罪者の数は、いてもおかしくない数と比べて少なかった。犯罪者は、一般市民がよく知っていて避けて通るような大都市下町のとある地域に追い払われたりもしていた。スリ、強盗そして殺人犯に対しては、長期間の懲役とか死刑とかといった厳しい判決が下った。特に必要とされる場合には、制限付きではあるが、公開処刑が行われたりした。

しかしスパイ活動となると、物事はそう単純ではなかった。

王は、世界政治の舞台のプレーヤーにとって、セルビアが諜報活動の上で、今どんなに興味深いのかを知っていた。そこで、時宜を得て、軍隊に付設した対敵諜報活動機関を創設し、そのトップに直轄の将校であり、愛国者としての信望があるドラグティン・ディミトリイェヴィチ・アピス大佐を据えた。

王は彼に自由裁量権を与えた。リベラルなセルビア王国では、報道機関、或いは新聞は大佐の組織に対して「誰からも支払いを求められない、すなわち誰にも従属しない独立組織」(「ポリティカ(政治)」一九一五年三月十二日号)といった風にしばしば難癖をつけた。

「シュタンパ(プレス)」一九一六年一月六日号は、「何にでも口を挟む」と書いてアピスを批判した。

「セルビア新聞」一九一七年五月七日号には、「王ではない王様」というリードもあった。

さて、ネマニャ通りを望む執務室の窓に向かってタバコをふかしながら、大佐は再び微笑みながら、セルビアの報道と世論をリードする人たちのツベコベを思い起こしていた。

もしそうだとしても、どうしたっていうんだ?

王ではない王様になろうと思わなかったが、彼には彼なりの予定がなかったわけではない。そう考えているうちに、おのずからアピスは、一番大事な質問、誰も回答を持っていないその質問に立ち返った───あの遠い過去の日に女占い師のあばら家の玄関に立ち止って、入って、そして中からドアを閉めなかったとしたら、今頃自分は何になり、そしてどうしていたことだろう。

しかし、いつものようにこの気分はすぐに消え去って、現実は、厳密な数学の方程式によって路へと戻った。彼は、誰にも選択肢はなく、いくつかの方程式が人々を支配しているという自分の信念を再確認した。自由意志とは、生物学的代数関数のひとつである作用に過ぎず、その作用についていつの日か、偉大な科学者の誰かが解釈し、ノーベル賞を受賞し、神が存在しないことを証明すると。
 

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『私たちはみんなテスラの子供 前編』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。