感覚といえば首から両肩にかけて一瞬針で刺されるような鋭い痛みをまだ感じていた。一日のうちで数回あった。多いときには一分の間に三回から四回も走った。

「この痛みは何ですか」

と再び中林先生に尋ねた。

「うーん、よく分からんが神経が通る路かもね」

曖昧な答えが返ってきただけだった。風呂の中で痛みが走ることもあった。湯船では複数の看護師さんが膝や股関節、あるい&は肘や肩の関節をほぐすように動かしてくれたが、自力ではほんの少し肘が曲げられる程度だった。

脚はどんなに力を入れてもビクともしなかった。四月半ば春遅い小樽でも明るい緩やかな陽光が窓の内側に届くようになっていた。

その頃どこからともなく、昼近くいつも同じような歌がラジオから流れていた。ややスローなテンポで港町の夜を思わせる、少し鼻にかかった若い女の声。

もう一曲は潰れて絞り出すように、しかも男か女か分からないような声で日本各地の港町を紹介していた。この二曲は毎日のように聞こえてきた。

怪我をする前まではフォークが好きで、ザ・サベージやザ・フォーククルセダーズなど覚え始めたギターを弾きながら歌っていたので演歌はあまり馴染みではなかった。­

病状が少し落ち着いた日の昼過ぎ、長兄と事故前の話をしていた。父ともそうであったが中学生になった頃からか、お互い個人的なことは食事のときを除き殆ど口にすることはなかった。

ちょうど十歳の年の開きもあり、少なくとも他の兄二人とは生活や考え方など全てに距離があるような気がしていたからだ。そのようなわけで入院中とはいえ二人きりで話すのは少なからず抵抗を感じていた。

それでもそのときは結構話が続いた。十七歳の夏、五日ほど家を出たことがあった。二百キロほど離れた親しい従兄のところにバイクで出かけ、理由も言わずに泊めてもらっていた。富山県に近い青海(おうみ)町で父方の親戚である。

強い動機はなかったが、いつも同じ暮らしに嫌気がさしていたことや、走ることが中心の部活から逃げ出したい気持ちもあった。

何よりも日常とは別の世界が見たかった。­

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『季節の向こうに未知が見える』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。