ふたつの疑問

発達障害の傾向がある人は、おもに仕事ができないということから自分の傾向に気がついていきます。それによって悩み、精神科を受診する人もいるでしょう。周りの人は、その人の存在によって悩み、休職、退職、精神科の受診に至ることもあるでしょう。悩む方向性が違うので、人間関係の加害性としては成り立ちません。

ひと言でいうと、両方とも、具体的に何かされたわけでも、したわけでもないのに、病んでいきます。

周りの人で、反応を起こすのはつらいものがあります。自分が苦しんでいることが気づかれにくい構造にあり、そのことによって一層傷つきますし、発達障害の傾向がある人と戦おうにも戦うすべがない、いままで出会って来た人とは違う、こちらの意図が伝わりにくい、人としての決定的な強さに敗北感を感じざるを得ません。そのこともわかってもらえません。

うつ的な症状にもつながりますが、そこに至らずとも、怒りや恨み、嫌悪感を抱くこともあります。それが職場の複数の人に共有されると、排除やいじめにもつながります。

数的には、発達障害の傾向がある人は、絶対的に少ないのです。

反応を起こし、つらい思いをしている人がいるという事実は重要ですが、発達障害の傾向がある人に対し嫌悪感、人としての受け入れがたさを生んで行くのも、人と社会の関係として問題です。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。

一方で、発達障害の傾向がある人は、仕事がうまくできないという気づきから、戸惑い、悩み、病んでいきます。隠れている職場の期待について考えましたが、まず基本的な期待は、仕事ができるということです。発達障害の傾向がある人は、この基本的な期待に直面します。

なぜ、仕事ができないということになるのでしょうか。

何らかの兆候はあったかもしれませんが、社会に出るまでは、さしたる問題はなかったのです。

なぜ、勉強はできたのに仕事はできないということになるのでしょう。

このふたつの疑問、なぜ周りの人は反応を起こすのか、なぜ勉強はできたのに仕事はできないのか、考えてみたいと思います。