第5章 適応障害についての疑問・2

③長時間労働

辞めたい、でも辞められない

それと多分、若者は否定的なことを言うのに慣れていないのだと思います。ノーと言えない。職場に対しては余計に言えないでしょうが、ノーということ自体、相手を傷つけるように感じているのかもしれません。

確かに、日本人の性質かもしれず、ノーは言うものではなく感じ取ってもらうだと思っているかもしれません。よく様子を見ていると、人を傷つけると、傷つけたという自分に傷つくというよくわからない心理状態を呈していることもあります。

人を傷つけるというようなことをした自分に自分が傷つくのです。そして落ち込んだりします。(自分に傷つくのではなく、傷つけた相手のことを考えては~?)なんて思ってしまいますが、念入りに自己防衛するように、否定的なことを言うことを避けています。

そして自分に責任が負えない、負いたくないということもあります。エピソードで紹介しましたが、メンタルクリニックの診断書を利用するある意味〝健康な〟若者もいます。

利用するという点において主体性があります。休職の診断書を書いてもらって、診察室から出てくる時は入った時と打って変わって明るい表情になっていることもあります。

誰かに自分を定義してもらいたい、弁護してもらいたい、合法的に、誰からも責められない仕方で、希望する切符を手に入れたい。

もれ聞こえることをまとめてみましたが、いくつかの事柄が入り混じっていることもあるでしょうし、別の要素もあるでしょう。しかし辞めるということに簡単にはたどり着けずにっちもさっちも行かない状態に陥りやすいようです。相談相手の少なさや人生経験の乏しさからくる問題解決能力の低さも手伝い若者を苦しめるのでしょう。

「辞めるのはよくない」という思いについてですが、この「よくない」というのはひとつの価値です。何がよいのか善であるのか、美しいのか美であるのかは、その時代や社会によりますが、ざっくり言って日本では「和」や「義」や「道」に価値を置いていると考えられます。

それに伴う美意識もあります。それぞれが形成された歴史的な時代の層があると思いますが、たとえば近代では明治以降国体という大義、戦争では特攻隊のような美しさ、それは正しさや善というよりも命を懸けるほどのものがあるという美しさのようにも思います。