第一章 道 程

【4】

4月、宮神は秀星大学のキャンパスにいた。

正門からロータリーまでの通りは、大きな銀杏並木になっている。その新緑の下に、クラブやサークルや同好会の面々が陣取って、熱心に勧誘している。気の弱そうな新入生を大勢で取り囲んで、半ば強引に名前を書かせようとしているグループもある。

宮神も、アメフトのユニフォームを着た同好会(アメフトはやったことがないそうだ)や、テニスサークルの面々に連れて行かれそうになった。化粧をして大人びた女性に腕を摑まれたときには、顔が真っ赤になってからかわれたりもした。これまでに経験したことのない大学の自由な雰囲気に、圧倒されていた。

大学生になったばかりで、まだ右も左もわからない。どんな講義を取ればいいのか、アルバイトはどうやって探すのか、誰かに教えてもらわないといけない。同好会かサークルかいずれには所属するつもりだったが、目移りして決められない。迷うこと自体がこんなに楽しいとは、思いもよらなかった。手渡されたいくつものチラシを見ながら、宮神は考えていた。自分はどんな人生を歩むべきか、志望大学や志望学部を決めかねていたときは、迷うのが苦しくてしかたなかったからだ。

ほんの半年前、どの学問を学ぶべきかで散々逡巡した宮神は、ついに志望学部を絞り込むことができなかった。担任は志望学部を迷うよりも、まずは志望大学を決める方が現実的だとアドバイスをしてくれた。そこで国立は南帝大学の文化Ⅱ類、私立は秀星大学の国際経済学部と法学部、国星大学の商学部を受験した。

その結果、南帝大学は合格できなかったものの、秀星大と国星大には受験した全学部に合格することができた。一九八八年はいわゆる団塊ジュニア世代が受験する数年間の始まりで、どの大学、学部も競争倍率が例年になく高かった。二勝一敗は間違いなく、上出来といえる成果だ。そして結局、秀星大の国際経済学部に進学を決めた。

留学問題のごたごたで受験勉強に出遅れた宮神が挽回できたのは、ひとえに英語力が抜きんでていたからだ。

私立大学の入学試験は概して英語の配点が高い。ゆえに学生は出題傾向を分析したり、頻出単語や構文を丸暗記する試験対策に躍起になるのだが、宮神は二学期直前までカナダに留学するつもりで実践重視の勉強を積んでいたのだから、盤石の基礎ができていた。

国語はもともと得意教科だったし、日本史は暗記科目なので短期集中で取り組んだらあっさり合格できてしまった。

なぜ秀星大を選んだのか。友人や知人に聞かれると宮神は、

「秀星の方が、自分のカラーに合っていると思ってね」

と答えていたが、それが確たる理由だとは本人も思っていなかった。もしかしたら、気持ちのどこかに地元の北杜市とキャンパスのある東京が、中央本線で繫がっている安心感があったのかもしれない。

地元に帰るときに便利だから、というのとは違う。合格通知を受け取った瞬間から、宮神の気持ちは故郷から飛び出していくことの高揚感で満ちていて、帰ることなど片隅にも考えていなかった。

それでも、人生の起点を大切にしたい気持ちがあったのではないだろうか。宮神がそのことに気づいたのは三月中旬、ひとり暮らしをするアパートを探すため東京に向かった、『あずさ』の中だった。

※本記事は、2019年10月刊行の書籍『AMBITION 2050』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。