編成局の管理部に配置され、ワープロを打ったり、書類をあちこちの部へ持って行かされたり、雑務のアシスタント業務だった。局長や次長は紳士的だったが、隣りと向かいの席に座っている二人の男は、露骨にエッチな話をしたり、澄世をからかったりした。

どこの部署も、アルバイト女性の扱いは同じ様に思われた。契約期間は半年だった。雇用保険の事もあるので、半年は我慢して働こうと決めた。

ただ、半年の後、また半年は更新でき、一年で本当に満了になるらしかった。そうすると、他社の放送会社へ斡旋してもらい、またそこで、半年、一年と働き、契約が満了すると、また他社の放送会社へ……と言うのが、お決まりのパターンで、そういう女性達を「渡り鳥」と言うのだと聞いた。

澄世は、女を馬鹿にしている! 渡り鳥なんて絶対に嫌だと思った。自分は絶対に半年こっきりで辞めると決めて働いた。

当時の世間は、女性の適齢期にうるさく、二十四歳をクリスマスケーキに例えて、二十五歳を過ぎると、売れ残りの叩き売りと揶揄された。二十五歳の澄世は、結婚しようにも、したい相手がいなかったし、誰とでも出来るものではないと思っていた。

疲れやすくはあるが、体調は以前よりずっとましだったし、家庭事情の為にも、澄世はとにかく正社員になって、いい稼ぎがしたかった。M社内を観察していて、秘書の女性が一目置かれている事に気付き、秘書になろうと決めた。

決めたらすぐ実行する澄世は、秘書検定の勉強を始めた。M社の半年が過ぎ、澄世は退社した。