3 命の水

弥生の空は遠く透き通るように美しい。

山も、川も、草木も、風のそよぎも、命の息吹が伝わり、春の訪れを肌に感ずる。

雪解けの季節。柔らかな陽光と小川のせせらぎ。春は厳しい冬から解き放たれたように流れ出す清冽な雪水や湧水とともにやってくる。そうだ! 水は生き物の営みに欠かせないのだと思い当たる。生きとし生けるもの、皆、水とかかわりを持っているのだ。

水は、海や川から天に上り、雨露、霜、雪に姿を変え、地表にその姿を現す。

人の体の大部分が水だというのも不思議と言えば不思議だ。

いま、その水が危機だといわれている。現代社会が自然の摂理を無視し、便利さを求めた結果、自然界では処理しきれない不純なものが水に混じり込んでいるからだ。

半世紀前、日本では容器に入った飲み水を買うようなことはなかった。お茶でもお酒でもおいしくいただくには、湧き水や自然にはぐくまれた水は欠かせなかった。

将来、地球規模の安全な水の確保は大きな課題といわれている。

水と親子の物語として「養老の瀧」がよく知られている。能『養老』は、勅使と樵夫(きこり)の老人親子との出会いから始まる。物語は山に入り薪を採る老人が、勅使に湧き出る新鮮な水を飲めば疲れも癒され、命が永らえるようだと語り、水の恩恵と平和な社会のありがたさに感謝する。最後は自然の象徴として山神が現れ、水の徳を賛美して曲は終わる。

この曲には、約八百年前の鴨長明の「方丈記」から引用された「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観漂う詞章が入っている。人の世を、水に例えた「生々流転」という言葉は、過去も現在も、人びとの琴線にふれるものだ。

それほど水と人間は目に見えぬ絆で結ばれていた。命の水―それは地球の賢い仕事の結晶である。だから、その源を振り返り、ありがたく大切にしなくてはいけない。

まさに水は、人間の精神生活とともに歩みを進めてきた、人間の歴史そのものだからである。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。