1 文化の華

二月四日は立春。言葉の響きではなんとなく春が訪れるような気がするが、如月は春の暖かさにはまだ程遠い。中国では二月の初めは「春節」。日本のお正月と同じように故郷に帰り、年の初めの喜びを家族と分かち合う。

植物は正直なもので、いち早く季節の到来を感じとる。早い春の訪れを知らせる蠟梅(ろうばい)は、まるでお香のように香り高い。決して大きくはない木の枝の節々に小さな黄色の花をつけ、十分香りを振りまいた後は、丸い卵のような美しい緑の葉が生まれる。

別名「唐梅(からうめ)」といわれるように、もともとは中国から伝わった。紅や白の花を咲かせる梅の古木を、同じく「老梅(ろうばい)」と呼ぶことがあるが、梅は蠟梅が散り掛かった頃から咲き始める。

九州は太宰府の「天満宮」で見事に咲く梅は、よく知られている。天満宮は、和歌や漢詩、書の大家で、学問の神様として平安時代から人びとに崇敬された菅原道真が祀られている。

道真は八世紀後半、当代随一の外国語に精通した学者で遣唐大使にも任命される予定であった。そして、右大臣として優れた経済学者として、また高い識見を持った政治家として重用された。

だが、当時の政敵、藤原時平の策略で九州の大宰府へ左遷され、その二年後、無念のうちにこの世を去るのである。この事件は、能『雷電』として取り上げられ、今でもよく演ぜられる。

道真の失脚は、対中国の外交路線をめぐる国内の意見対立にあったと見ていい。日中両国の親交は千数百年に及ぶ。仏教伝来、鑑真上人の来日、唐招提寺の建立、空海、最澄の渡航。そして、文学、芸能を通じての深い関係を上げればきりがない。

近世、両国の不幸な出来事は、当時の西欧列国の植民地政策にその根源があると私は見る。グローバル、グローバルとよくいわれるが、今までいかにアジア圏がその犠牲を強いられたかを考えてみるといい。不幸な最期を遂げた福沢諭吉の門下生で、時の首相であった犬養毅が残した最後の言葉は『話せば解る』である。

二〇一二年は日中友好四十周年の節目。大陸から渡った蠟梅や紅梅、白梅のように気高く香りたつような慶祝の年としたいものだ。それが両国の信頼関係をより深くする絶好の機会になると思うからである。

※本記事は、2018年11月刊行の書籍『世を観よ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。