第3章 山心の発展期

【雲ノ平】 北アルプス最奥を歩く ~1985年8月(48歳)~

雲ノ平山荘から双六小屋へ

8月7日。起床は午前4時30分。朝食午前5時。暗い雲、強い風、台風が接近しているらしい。雲ノ平山荘、午前6時に出発。

山の雑誌には強風のときの稜線歩きは危険だとあったので、私は第二雪田、第一雪田を経て黒部川源流近くに下り、そこから三俣山荘へ登り上げるコースを選択した。若い久我さんは、「僕は稜線歩きに挑戦してみます」と言うので途中で私と別れることになった。

仲良し同行者でも、意見が分かれるときがある。仕方がない。久我さんは爺ヶ岳に登り、岩苔乗越経由で鷲羽岳に登り、三俣山荘に下りるコースを選んだ。

「それじゃあ、三俣山荘で会いましょう」
「気をつけて」

一人になった私は幅1メートルほどのごろごろ石の上を2歩・3歩、黒部源流をまたいで三俣山荘に登り上げた。午前9時。三俣山荘に到着。早速川越の自宅に電話を入れた。5歳の娘が電話に出た。台風が接近しているので、家族も心配しているようだった。

三俣山荘で、西鎌尾根から槍ヶ岳方面を眺めて休んでいると、10時に久我さんが到着。

「無事で良かった!」
「そんなに大したことなかったですよ」

と再会に握手。風は強く、よろめきながらも歩き通せたようだった。

午前10時30分。だいぶ早いが、都内の有名レストランにも負けないほどのビーフステーキが食べられるとか山の雑誌が宣伝していたので注文。2200円。

午前11時、三俣山荘発。久我さんは台風模様のなかを三俣蓮華岳に登り、双六岳を経由してから双六小屋に下りるという。三俣蓮華岳とは、長野県・富山県・岐阜県の三県境にあるので、この名がついたという。私は安全第一で巻道を選んだ。

13時30分。双六小屋に到着。私より5分遅れて、久我さんも到着。ホッとした。夕方から夜になって雨はさらに強くなった。

明日は土砂降りのなかの下山か。双六小屋1泊2食5200円で、料金は雲ノ平山荘と一緒だった。

双六小屋から笠山荘へ

8月8日、午前5時。霧が凄かったが、時間とともに青空が広がり、槍・穂高連峰が丸ごと見えた。山の天気はわからないものだ。

双六小屋、午前6時40分に出発。台風は逸れてしまったようだ。登山道の高度を下げないで笠ヶ岳に向かう道もあったが、(またいつか……)と思って、下山の道に入った。

ここまで来ると今回の山旅も9割終わった感じだ。もう急ぐことはない。余韻を楽しもう。

鏡平、午前9時40分着。鏡平山荘の前に池があり、槍・穂高連峰が水面に逆さに映っていた。いままで本で見てきたほとんどの穂高連峰は「右に槍で、左に穂高」だったが、ここでは反対だ。槍・穂高連峰を裏から見ているような気がした。

わさび平小屋、午後12時30分着。昼食に缶ビールと牛丼。私たちはここを雲ノ平からの出口に使ったが、ここから雲ノ平に入る人も多いようだ。13時30分に出発。新穂高温泉まで車道を歩く。

「車道歩きは退屈な時間だけですね」
「でも歩かなければ、目的地には着かないよ」

忍耐のみ。ひたすら歩く。村営笠山荘、14時30分着。「かさやま」ではなく「りゅうざん」と読む。

建物は良い。風呂は良い。食事は良い。サイコー!

笠山荘から川越へ

8月9日、午前7時。布団から出る。今日は山登りなし。嬉しくもあり、寂しくもあり。

あんまり天気が良いので新穂高ロープウェイに乗ろうということになった。乗物で変わった角度からの山岳風景を楽しみたい。1本目4分、2本目10分。午前9~11時の2時間遊ぶ。往復2400円だった。

準備なしで出かけたいままでの山と違って、事前に1週間ほどのトレーニングを積んで出発した今回の雲ノ平。取り組む努力が大きければ大きいだけ、やり遂げた達成感は大きいことを、改めて教えられた。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。