第2章 信仰の根拠は主イエスとの 「霊の一体性」

2.いつも乳を飲むだけのような者はみな、義の教えに通じてはいません。その人はまだ神様との生きた霊の関係性の知識に未達であり、その真理を告白できず行動が伴わない幼子なのです。「ヘブル」5:13節。

ですから、私たちは、キリストの初歩の原則(十字架の贖い・罪の赦し)の論じ合いをあとにして、完全〈霊的成熟〉を目ざして着実に進もうではありませんか。死んだ行いからの悔い改めと神への信仰、「ヘブル」6:1節。

洗礼の教義、按手の教義、死者の復活の教義、および永遠の裁きの教義についてなど、基礎的なことを繰り返したりしないようにしましょう。「ヘブル」6:2節。

ここでパウロは、キリスト教の霊的真理「義」を、乳=かみ砕かれた教えからやり直す必要があると断じています。「義の教えに通じていない」のだから、義すなわち「神様との霊の関係性とその知識」を確立しないと、成熟したクリスチャンになれないと論理的に教えています。

霊的幼児とは救いの概念を、イエス・キリストに「おんぶに抱っこ」ですがりつき、助けてもらうことだと信じている人々です。クリスチャンとなる入信通過ポイントとして、当初には妥当な知識ですが、ほとんどの教会が教理解釈でこの幼児性に留まってしまっているのです。

すなわち教会で礼拝/典礼として、毎週繰り返されているのは、パウロが警告している「キリスト教の初歩教理(この世に対する宣教)」なのだから、それらを卒業し、霊の立場の自己認識を変えなければ、「神の義となる刷新」を実現できません。

なぜなら〔「罪の悔い改め(入信原理)」によってでは、神の義(霊的成熟という面)が完成するのではない〕からです。求める目的に対して、その手段を取り違えているのです。