第3章  神様が用いる手段は「血の契約」 

旧約時代と新約時代との、「神様の人への態度の変わりよう」について分析するなら、

~1.キリスト・イエスをこの世に生まれさせる神様の計画(原罪の贖い)に対し、

~2.それを妨害・阻止しようとするサタンの攻撃(人の考えに不義を持ち込む)。

~3.イスラエル民族の霊的堕落を防ぐために律法を与えたこと(霊の義を守る)。

~4.人の子イエスが全人類代表者として、原罪の咎への血の贖いを達成したので、

~5.全人類がサタンの支配下から解放されて、神様の元に戻れる準備(第1の義)ができた。

~6.次に、自由意志によってイエス・キリストの働きを信じた人=クリスチャンが、救霊の達成・第2の義となる。

~7.聖書の御言葉を学んで、「信仰の根拠」を主イエスとの「血の契約」とし、聖霊のバプテスマを受けて神の子[神の義]とされ、霊の賜物をいただいて成長し、

~8.主イエスの代理者として「イエスの名」の権威を使い、地上においてサタンに勝利することが要求される、第3の義の立場となる。

との歴史的経過において、イエス・キリストとサタンとの「霊の戦い」と、それによる「罪の贖いの結果」によって、「人の霊の立場が変えられたことを、正しく解釈していない」からです。次句()内は著者注です。

 

 「創世記」3:15 そして、わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵愾心(てきがいしん)を置く。彼(イエス・キリスト)は、おまえ(サタン)の頭(主権)を踏み砕き(霊の死と恐れを無力にし)、おまえは、彼(キリスト)のかかとにかみつく(救いの妨害・攻撃者となる)。

 

人の子イエスの、十字架の死とよみがえりによって、アダムが犯した原罪の咎から人類が贖い出された結果、人は誰でも[生贄の血を介さず]直接神様の前に立てるように、「人の側の霊の立場」が変えられた(第一段階)のです。

そしてイエス・キリストを信じて「生まれ変わる(第二段階)」のですが、その「新しい人」の意義を十分に理解しきれず、古い人のままの感覚・感情で受け取っているため、「神様の態度が変わった」と、間違えたとらえ方をしてしまっているのです。

旧約・新約の両聖書の骨子が、「人」の生きざまについて、自由と喜びを与えようとする神様と、罪と死の束縛に閉じ込めておこうとするサタンとの、「霊の戦い」の記録であることを理解すれば、全能なる神様は、「創世記」から「黙示録」まで、契約の相手として、一貫して変わらない方であるのが、全く矛盾なく納得でき、心から素直に信頼を寄せられるようになります。

新約聖書時代において、裁きの神、怒りの神でなくなった理由はただ一つ、前述の通り、神様に対する「人の霊的立場」が、十字架を境に劇的に変化したからです。これこそ現代の人類にとって、最も重要な真理であり、心に刻みつけねばならないことなので、誰もが知っていることですが、誤解がないように再度、しっかり学び直さねばなりません。