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第一部 日本とアメリカ対立—

第二章 緊張の始まり

船旅と列車の旅と最初の語らい

「なるほど。我輩などとても足元にも及びませんね。結局ご主人様が駐米大使の役を引き受けたのは、やはり他には誰も適任がいないだろうという判断ですか?」

と畳み掛けて聞いてみた。

我輩も相当にしつこいが、乗りかかった船だ。行き着くところまで行ってみようと思い切って聞いてみた。

「うーむ、その点は曰く言い難しだな。先ほど言ったように国難において軍人としての責任も感じるし、日米国交調整への糸口も微かだが望みを持っている。また古代さんとは昔ロンドン軍縮、上海事変でご一緒して気心が知れていたし、外務省の人材不足、大統領はじめ米国での知己の有無など総合判断した結果、儂にお願いしたいという話だった。

そこまで言われて断るのは大人気ないし、相手の気遣いに対しても失礼だろう。また彼は海軍の上層部にも手を回していて、儂が相談した時には既に海軍の外堀は埋められていた。そう言う次第で色々と困難な状況だが、思い直してお国のために再度ご奉公をする気になった訳だ」

という。

我輩はそれを聞いて、

「ふーむ、確かに古代さんの話は以前お聞きしましたが、自信過剰の人は得てして『自分の周囲の人間が皆馬鹿に見え、外部にいる人間が賢そうに見える』という傾向がありますからね。いわゆる灯台下暗しですよ。外務省は何と言っても日本最高の頭脳集団であることは事実で、候補者がいないことはないと思いますけどね。以前もお話ししましたがその点はどうも納得がいかなくて……。古代さんの見解は一種の偏見とある種の劣等感の裏返しではありませんか?」 

とズバリと聞いてみた。

「うーむ。そうかも知れん。しかし彼は外務官僚には珍しく、決断力が人一倍優れている。今一番必要なのはその決断力かも知れんぞ」

と自分の知り合いの悪口を言われて少しご機嫌が斜めになったのかムッとした顔で反論した。