壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

(4)

「うーん、なんというか、たしかに迫力はありますねえ」
「どんな手をつかやぁ、あそこまでのしあがれるのか、教えてくれよ。成功者の手腕ってやつをさぁ。あんた、弟子なんだろ?」
「まだ入ったばっかりで、よくわからんのです……」
「しっかり学べよ、若者」

おもちゃ屋のおやじは、眉を八の字にして、私の肩をたたいた。

「だけど不思議だよなあ。世のほとんどは、汗かいて力をしぼり出して、その日その日の食いもんにありつくのが精いっぱいなんだぜ。そりゃ、生まれつきもあるさ。長者のうちに生まれれば、だれだって若旦那だ。でも、ときどき、あんなふうに、一からのしあがる人も出る。どうして、おれとおなじ宦官の身で、何人も使用人をおいて、こき使うことができるんだろうな? まるで手品だぜ。まあ、おれみたいなのには、死ぬまで、タネがわからねえんだ、きっと」

店主がため息をつく、その率直さにおかしみを感じていると、ぬっ、と人影があらわれた。

「湯麵(しるそば)をたのむ」

地をはうような太い声を発し、椅子に腰かけて、瞑目した。それだけで、場の空気が一変した。青い道袍(どうほう)をまとった偉丈夫である。

年歯は五十前後であろうが、堂々たる体軀、ひきしまった秀貌は、実際よりもはるかに若く見えた。その姿が一回りもふたまわりも大きく見えるのは、全身から放たれる、精気のせいであろうか。尋常な客ではないと、感じた。

「お待ちです」

どんぶりを差し出す一瞬だけ、目が合った。淵(えん)にして静(せい)、おだやかな面立ちの下に、ただならぬ氤氲(いんうん)が蔵(かく)されている。神仙のおもむきとは、こういうものかもしれない。

だまって麵をすする。その姿は、なにか見てはいけないもののように思われ、目をそらした。方術(ほうじゅつ)の蘊奥(うんのう)をきわめた道士は、食わずとも千里をはしり、空さえ飛ぶと聞いていたからである。

「世に処(お)るは大夢の若(ごと)し。胡為(なんす)れぞ其の生を労(ろう)するや?」

箸をおいた道士が、ぽつりと言った。

「は?」
「この、夢のような人生で、何を悩むのかと訊いておる」
「おっしゃる意味が、よくわかりませんが……」
「汝(なんじ)、いまは屋台を曳いてはいるが、いつまでも一介の麵売りでいたいわけではなかろう。せっかく宦官になったのだからな。内廷に入り、天子のため、天下の政道のために、粉骨砕身(ふんこつさいしん)す。それが、宦官の本分というものであろう? 汝(なんじ)はそういうものを、めざしているのではないか?」

私は口ごもった。

「案ずるな。拙者は漁門の人間ではない」
「……私は……縁あって麵売りになりましたが、おっしゃるとおり、宦官となった以上は、いずれは城門のうちがわで、はたらきたく思います」

道士は、我が意を得たりと、うなずいた。

「そうであろう。それなら、商売に身を入れて、まとまった銀をつくらねばならんな」
「もとより、貯金はするつもりです」
「では、はげめ。銀がなければ、正戸にはなれぬ」
「どういうことですか?」
「今どき、正戸の身分は、銀によって購(あがな)わねばならんということだ」

思わず、目をむいた。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。