序 ─ 嘉靖九年、われ自宮(じきゅう)し、黒戸(ヘイフー)の宦官となるの事

男が欲しがるものといえば、まず、銀(カネ)と、力と、女であって、断じて「真理」や「悟り」などといった崇高なものではなく、阿弥陀(あみだ)の誓願(せいがん)とも、釈迦牟尼(しゃかむに)の空(くう)とも、大日(だいにち)の阿字観(あじかん)とも無縁であることは、世にはびこる諸悪の大半が、銀(カネ)、力、女のいずれかをめぐって起こるという事実によって、うらづけられている。

 

世人は、私利私欲に端を発した悪行が露見するたびに、「再発防止」などといって、世に行わるる法の、網の目をせばめたり、いまにも姦邪にはしりそうな奇人変人の監視を強めたりしているのであるが、どんな再発防止策も、これら根源的な欲望を根絶せしめるには、無力である。

 

犯罪は、銀、力、女とともにあり、この三つが歴史から消えることはなく、ゆえに、この地上に人のいるかぎり、犯罪の絶えることはないであろう。

 

自己紹介をせねばなるまい。私の名は王暢(ワンチャン)―字(あざな)は叙達(シュター)―明(みん)の王庭に仕える宦官(かんがん)である。

 

私が素性をあかすと、人は駭(おどろ)く。なかには、あからさまな侮蔑(ぶべつ)の色を浮かべる者さえある。宦官ときけば、世人は、脳裡に、おきまりの像をえがくのであろう。

 

男性器を切りおとした身ゆえ、女を得ることはかなわぬが、玉座のそば近くある地位特権を利用して、大金をまきあげては私腹を肥やし、天子にとり入ってはおのれに都合のいいように、政治を牛耳(ぎゅうじ)らんとする極悪人である―と。

 

世界に冠たる大帝国であった漢(かん)がかたむいたのも、空前の栄耀栄華をきわめた唐(とう)がほろんだのも、とどのつまりは宦官のせいである! そういわんばかりの史書の記述にふれれば、宦官こそ諸悪の根源、と思われるのも無理はない。

 

 

しかし、人の脳裡(のうり)にえがかれる、すべての像が、現実の、わずかなる一面しかとらえておらぬ虚像であるように、こうした像は、全面的に正しいとはいえない。たしかに、宦官の中に、巨悪をはたらく者もいることは否定しない。しないが、そんな輩(やから)はごくごく一部である。

 

 

大金をつかむには、その前段階として、権力を手中にせねばならないが、権力というものは、傾国(けいこく)の美女と同様、その身に触れることのできるのは、一握りの貪欲なる亡者であって、しかも強運の持ち主だけであること、今も昔も変わりはない。

 

ゆえに、のこりの大多数は仕方なく、あまり、おもしろくもない人生を、とぼとぼと歩いてゆく傍流となる―宮廷の清掃をしたり、勢力ある宦官のつかい走りをしたり、天子の閨房をととのえたりするのを、なりわいとして。

 

私のことを語ろうか。

 

さきの十一代皇帝・武宗の正徳(しょうとく)のとき、私は、ゆえあって両の親をなくした。わが一族は、とりたてて記すほどのこともない、貧しい農民であった。そのとき、幼かった私には、よくわからない経緯で、少しばかりではあったが、父がもっていたはずの田畑も、失ってしまった。

 

僅々(きんきん)十三歳にして、天地のあいだに、身のおきどころがなくなったのであった。同時に、きょうだいは離散した。十歳になったばかりの妹は、ある日、忽然とすがたを消した。そのとき、兄が語った言葉は、いまも、耳朶(じだ)にのこっている。

 

―おまえも、ここにいては、悪い大人たちに連れ去られてしまうだろう。かと言って、行動をともにすれば、二人とも捕らえられ、奴隷にされてしまうかもしれない。いまは、危急のときだ。ここで、別れよう。私は北へゆく。おまえは南へゆけ。南には、ゆたかな大地があるときく。暢(チャン)よ、わが弟よ、どうか、達者で暮らせ。おたがい、生きていれば、今生で、また会う機会もあるだろう。

 

こうして、私は、天涯孤独の身となった。

 

望んでの孤独なら、ぜいたくともいえよう。しかし、私の場合は、寸毫(すんごう)ほども望まぬ孤独であった。たとえ貧しくとも、家族は、身を寄せあって眠るほうがよい。

 

孤独感にひたり、わが身の不運をかこっているひまなどなかった。脳裡を支配していたのは、今日の食をいかにして確保するかという一念であった。すべて動物は、食べなければ死ぬ。私も、その例にもれない。羽化登仙(うかとうせん)の達人ならいざ知らず、霞(かすみ)を食って生きるわけには行かない。

 

虫でも、蛙でも、蛇(へび)でも、木の根でも、食べられるものはなんでも食べた。

かたい芒(すすき)のような草をたべて、口角を血でにじませたのみならず、直後、死ぬほどの下痢になやまされたこともある。

長江の南には、鬼もいれば、人もいた。佛(ほとけ)は、ごくまれにしかいなかった。

 

やることなすこと、うまく行かなかった。江南(こうなん)で、さいしょに出会ったのは、善人の仮面をかぶった、人さらいであったが、すんでのところで、逃げ出した。

 

放浪は、十年におよんだ。

 

江南の地をのがれ、故郷のある北へむかい、皇帝陛下のまします北京の地にいたった。

 

皇城周辺の道で、異形(いぎょう)の人とすれ違った。

 

身のたけは、慢性の栄養失調で、貧弱な体格の私とそれほど変わらなかったから、五尺ほどであろう。黒い帽子で禿髪(とくはつ)をおおい、いくぶん前かがみで、ひょこ、ひょこと歩くさまは、雛(ひよこ)を連想させた。遠目には男のようであるが、つるりとした膚(はだ)は、女のようにも見えた。ああ、これが、おとに聞いた宦かん官がんというものか、と思った。

 

しかし、ただ、それだけであった。言葉をかけるでもなく、視線をあわせるでもなく、彼は通りすぎていった。

 

私は、例によって、きょうは食べものにありつけるか、否かを自問していた。つねに空腹感に苛(さいな)まれていたが、このまま食わずに横死するとも、とりたてて悔いることはなかった。心のこりがあるとすれば、父の田畑をむしり取った大人たちに、一矢もむくいられなかったことである。だが、彼らの顔も、名も、どの空の下で生をむさぼっているかも知らなかったから、恨みを晴らすすべも、絶たれていた。

 

人には、それぞれ、もって生まれた天分というものがある。私には、復讐せんとする気概が、うすかったのであろう。怨念を滾(たぎ)らせ、斃(たお)さずんば已まじという魂魄の持ちぬしも、広大なる天地の間、どこかには存在するのであろうが、わが肉体にやどったのは、その種のたましいではなかった。裡(うち)なる執念の炎は、熱をうしなって泥灰と化し、時間とともに、諦念だけが降り積もった。

 

一銭の金もなくなったとき、なんとかして、はたらくことを考えた。しかし、私を知る人のいない北京に、身元保証人のあろうはずがない。浮雲のごときすかんぴんを、やとおうとする商家はなかった。

 

将来になんの希望ももてなくなっていた私は、はたして、自宮を思いついた。

 

みずから男を捨て、宦官となれば、宮廷に召しかかえてもらえるかもしれない。自問自答のすえ、そして、ついに、決意した。

 

数日前にすれちがった、雛(ひよこ)のような宦官の歩きぶりが、脳裡によみがえった。刃物は、肉屋の仕事場にもぐり込んで、失敬した。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。