運命の日

そして、三男が1歳となった2019年の夏。誕生日から数えて7日後の8月12日。その日の朝、夫の仕事の見送りができなかった。夜間授乳もまだまだしていて夏は暑く寝苦しく半覚醒気味な私は、毎日仕事の見送りができるのに、その日にかぎって見送れずに早朝に目が覚めると、夫はすでに仕事にでかけて車はなかった。

私は仕事が休日で三男をおんぶ紐でおんぶしながら朝9時頃は数日後のお盆の墓参りに行く前準備のために車内清掃していたから汗だくだった。夫の帰りを待っていた。車内清掃中、もしかしたら頭上をドクターヘリが飛んでったかもしれない。掃除機の音でかき消していたのか。

10時頃、仕事から戻らない夫からの連絡を見るために携帯を見ると何十件も知らない番号から連絡が入っている。恐る恐る一本、某病院の番号に折り返してみることにした。他にも消防、警察も含まれていた。

かけた電話は、総合案内から救急に繋がり、ドクターヘリで運ばれた夫の不慮の事故を知らされた。どういう状況かといった詳細よりも、ひとまず夫がドクターヘリで搬送されたんだという事実、そして落ち着いて病院へ向かうよう告げられた。

携帯に知らない番号が何十件もあるとなると胸騒ぎは死の覚悟だった。落ち着いて病院まで……。落ち着いてって何? 何が正解の態度? 今、汗だくでおんぶをした子どもに、部屋でまったり涼んでいる子どもに……私が彼らに嘘をつき、いつもの態度を振る舞うのが果たして正解かもわからない。だけど取り乱したら子どもたちはひどく不安がるに違いない。

妻としての態度や行動より母としての態度を優先した。安否不明ななかでできることはただ一つ。いち早く病院に安全に着くこと。財布を持って行くこと。三人を車に乗せることくらいしか思い浮かばない。

だが……誰が嘘をつくのだろう。

信じたくない事実を叩きつけられた衝撃的な連絡。誰があんな訃報を伝えたいだろう。心苦しい訃報を奥さんである私にサラリと伝えられるわけではない。あの日の真夏の暑さが血の気と一緒に一気に引いていったのは思い出したくない記憶だ。

すぐに状況を冷静に判断したといっても頭の中では、

「なんで我が家に重症な状態の人が……」と呟いていた。