はじめに

私は看護師。正確にはだった。でもなれるなんて思ってもいなかった。もうそこでまず人生なにが起きるかわからない、私でもなれた。私にでもできるのかと驚いた。ただばあちゃんが大好きで、介護現場に興味関心を抱いていただけだった。

高校3年の夏休み、老人施設に自ら問い合わせてボランティア活動をし、クオリティ・オブ・ライフを福祉課題として選び、福祉・介護の現場を見ながら惹かれる職種だと確信した。実務経験を重ねていずれ介護福祉士になりたいと担任の先生でもある恩師に高校3年2学期の進路相談で話した。

恩師の助言もあり、最終的に看護への道を選択した。見合っていないと劣等感を抱きながらも、看護師として道を開きながら歩んできた。2010年に結婚して三人の子どもに恵まれた。普通の五人家族。夫と子ども合わせて四人の男と暮らしている私。騒がしい毎日のなか、いつもの暮らしが一変した。

2019年8月12日、夫が半身不随になる事故にあった。夫が、脊髄損傷、胸下から完全麻痺、自排便自排尿なし、握力なし、指先麻痺になった。三男が生まれて1年後、そして結婚して9年後のまさかの出来事。看護師として母として両立真っ只中の時期に、ゆっくり、でも着実に我が家の幸せの形、一つ一つ積んできた人生の積み木が一気に崩れていくようだった。

遡ること2010年夏、私たちは結婚した。共働きは当たり前だと思うような人だから励ましは一切しない夫だ。夫は漁師。夜中に家を出て昼には帰宅し就寝。そのため、夜中に弁当箱にご飯を詰めて、深夜2時前後には見送りは欠かさずしていた。私は見送ったあとにまた寝て朝の5時に起きる。病院へ出勤し、日勤が終わり、帰宅。夕飯時に夫を起こす生活だった。

2011年6月に長男が誕生した。哺乳力があり母乳では足りずゲップも出さず、離乳食初期にはミルクをさらに500cc足して飲ませなくては気がすまないほど。ムチムチで同い年の子が長男の肩くらいの身長で、ひときわ態度も体も大きかった。

そのまた2年後2013年7月には次男が誕生。真っ白な肌の子だった。幼い子どもが二人いる核家族であり、月に何回かの準夜勤しかしないものの、準夜勤の日は、夕食を作り置いて夫に子どもを任せたり、朝食には夫がいないのが当たり前だったりと、夫婦の勤務形態は特殊だった。それでも夫が深夜勤務の家庭は身近にもいたし、単身赴任の方もいる。

その時その時子どもが増えてライフスタイルが様変わりするのは周りも我が家も変わらないだろう。