第一部 私と家族と車イス

ちょっとした願い

高校での進路は裕福でもなく進学も目指していなかったし、スポーツ推薦も諦めた。きっかけは、母親の現実的な話に最終的に同意したからだ。

被服も調理も着付けも福祉も保育もある学校に入学した。いろいろなことを経験させてもらえて得意な分野を見い出すきっかけを与えてもらった。準備期でもある高校時代は、早く自立したいという思いが芽生えていたように感じる。

看護専門学校に入学させてもらえた。あれから、時が経ち、娘から母へと立場が変わった。家族と過ごした19年という短い間でも両親を見ながら母親の逞しさや父親の職人気質を受け継ぐことができた。私の原点は生まれた家庭にあったのだと心から感謝している。

両親へのご恩は結婚して子どもが生まれてから気づいていった。裕福、貧乏は選べないが生まれた家は何かしら学びが深かった。次男の先天性疾患や夫の事故を含め、人生は、気持ちの赴くままに決して否定はせずに、真実に感謝すれば、明るい方向へ歩めるような気がする。

順応と柔和、そして受容しながら前を向けば、時の流れの中で生きていると感じることができる。体をいただいて生まれた私。偶然この家庭を選んで生きてきたのも、なんの血の繋がりもない夫と私が、この世で共鳴しともに歩むと覚悟を決めたのも、なんらかのご縁。

たった一言が心に灯りを灯すのなら、それが最善だと感じる。自分のために、恐れない人生、幸福に向かっていく人生、幸福を創る人生こそが自己超越だと伝えたい。

第二部 伝えたい幸福の道しるべ16の事柄

アバウトなのが人生、先のことはわからない

私を知られるのは怖い、知られる勇気を振り絞るまでの時間に個人差がある。恐怖の一歩。打ち明けるまでが、とてもしんどい。今でも、夫の突然の入院から家族構成、生活背景、家族の特徴、欠点などカルテを通して多くの医療従事者が目にしたんだなと思うとプライベートがあるようで、ない気がする。

看護師をしていたから、看護介入する側は、ご家族様、ご本人様の心理面、精神面、生活面などを汲み取って寄り添いたいのだということは理解している。汲み取られたくないわけではない。ただ患者側、家族側になって気づいた、丸裸の気分でいた。