そうこうする内に、飼い主一家の帰国が決まり、一緒に日本に行くことになった。

Jビザと称する滞在許可証兼労働許可証をもらい、生まれて初めて日本の土を踏んだ。

日本では飼い主の紹介で商社に採用され、輸出入の貿易実務に従事しながら空いた時間で“ネイティブ米国犬の英語教授”として某大学の教壇に立った。

「え、英語教授として大学の教壇に?」

と読者の皆さんはびっくりされるかも知れないがちっとも驚くことはありません。日本では江戸の終わりから舶来主義がはびこり、母国で受けた教育レベル、教養、知性、見識などは全く関係なく、

「とにかくネイティブでありさえすれば、人間でも柴犬でも誰でも良い」

という有難い採用基準でしたから。

ネイティブ信仰は今日でも同じだが、さすがに柴犬はNGになったと聞く。

風の便りに聞いたところでは昨今日本では「十年間英語を学んでもしゃべれない」と大騒ぎして小学校低学年から英会話を始め、五・六年では英語が正式科目になったという。我輩の経験則から言えば本末転倒の話だ。

物事を考え、理解し、相手に分からせる能力がなければ英語どころかそもそも日本語でも話せるはずがない。しゃべれないのは「話す中身がない」からか、「何を話したらよいか分からない」かのいずれかが原因だから英語をやる前に物事を母語の日本語できちんと勉強しておくことが何よりも基本で大事。

その上で英語の基礎能力の三要素、読解力と書く力と文法を磨けば良いだけの話で、会話などは二十歳から始めても十分間に合う。

我輩の経験ではその昔、「英語が苦手だった親」、中でも「基礎になる文法を毛嫌いした親」に限って自分の努力不足を棚に上げて文科省に責任を押し付け、子供には「幼児期に始めればペラペラに……」と妄想に取り付かれて大騒ぎする傾向がある。

地道に努力する人は大騒ぎしない。

日本人種族の有難い誤解のお蔭で大学の教壇にも立てた我輩としては日本の教育行政に感謝しつつ、自己紹介はこれくらいにしていよいよ日米の動きに踏み込んでいこう。

【前回の記事を読む】「人間種族の言語、知識、一般教養を持った柴犬」の自己紹介