第一部 日本とアメリカ対立—

第一章 日本行き、そして帰国

我輩のご主人との運命の出会い

人生行路は神のみぞ知り、犬生行路はご主人のみぞ知る。

日本に来て数年経ったある日、飼い主が今度はエジプトのカイロ赴任となり、他の日本人に我輩の後事を託して日本を後にした。

後事を託された日本人こそ我輩の新しいご主人で名前は鵜殿(うどの)大吉(だいきち)という。

ここから我輩の波乱に富んだ犬生が始まる。

この新しい我輩のご主人が時の外相におだてられ、駐米日本大使に任命された。その結果、我輩も日本滞在を終えて一月の寒風吹きすさぶ横浜港から米国西海岸に向けて数年ぶりに帰国の途に就いた。

以来、新しい我輩のご主人は首都ワシントンD.C.で日本と米国の国交調整に一意専心。涙ぐましい努力を傾けた交渉も同年師走無念にも不調に終わり、日米両国は不幸にも戦争状態に突入してしまった。

開戦直前の土壇場で我輩のご主人が在米日本大使館の最高責任者としてどう振舞ったのか、大使館員はどう対応したのか、外務省本省はどう処理しようとしたのか、後年外務省のOBに「外務省の伝統を穢した恨事」とまで呼ばれた事件はどのように引き起こされたのか等々、我輩が見たまま、感じたままをこれから綴っていこうと思う。そこに事件の真因も自ずと見えてくるだろう。

何はともあれ、まずは駐米日本大使を拝命した我輩のご主人に従って米国に帰国した経緯と当時の日本の動きから見ることにしよう。