その女たちのほとんどは、関ケ原の合戦や冬の陣、夏の陣で滅んだ大名、禄を失った家士たちの妻や娘だという。大名家の改易や取りつぶしがつづき、男たちは牢人となって仕官の口を探してさすらい、女は多く遊郭に流れてきているのだそうだ。だまされて売られたり、落城のどさくさの中で拉致された女たちもいるという。

厳重に囲われて、外には一歩も出ることの許されない囚われの身なのだ。目も眩むような金襴(きんらん)の衣装に身をつつんではいても、売り買いされる牛馬と何の変わりもない。大金を支払って手に入れた大切な売り物であるから、誰かが金子を積んで買い受けてくれなければ、その楼閣がたとえ火事になろうとも逃げることは許されないという。

逃亡を防ぐために屈強な男たちが要所要所で見張っているのだとか。ひとを売り買いしてはならぬというお布令は、関白殿下の時代から、いやもっともっと古くから今も生きているはずだが、抜け道はいくらでもあるのであろう。戦とはむごいものだ。他人事ではない。明日は我が身かも知れないのだ。戦に負ければ首討たれるのも無残だが、生き残った家族もまた悲惨なのだ。

娘らしい華やかな衣装も与えられないが、阿梅と阿菖蒲はまだ幸せな方と言わなければならないだろう。それも真田左衛門佐どのの決断があってのことだ。そして阿菖蒲の探索にまで力を尽くしてくださった伊達陸奥守さまに、わたくしは頭が下がるのだった。

真田家の家臣西村孫之進、吾妻佐渡に護られて真田左衛門佐どののご二男(だい)(はち)(ぎみ)が、ひそかにひと目をはばかるようにして白石城に着いた。四歳の大八君は十二歳の姉の阿梅が縫った小袖をまとい、わたくしが縫い上げた仕立て下ろしの羽織袴姿で、重綱さまに伴われ武家の男子としての作法をわきまえ、凛々しく端然と姿勢を正していた。そして病床のお殿さま、景綱さまに平伏した。

幼い声を張って

片倉(かたくら)久米(くめの)(すけ)と申します」

と名乗った。阿梅と阿菖蒲は胸を突かれたようだった。真田の姓は名乗れないのだ。お供して後ろで平伏している西村孫之進と吾妻佐渡は、ほっと肩の辺りから力が抜けたように見えた。

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