あの青春の日々には帰れない。でもあの思い出の世界なら戻ることは出来る。先日の電話で一時間の変更がなければ出会うことは無かった。もしくは赤信号で止まらなかったら。

全ては偶然の組み合わせからだ。鉄平は車で音楽を聴くのが好きだ。先ほど聞いた『運命』の曲と今日の偶然と何か関係があるのだろうか。若い頃はビートルズが好きだったが最近はクラシック音楽を聴くようになった。

鉄平が青春の扉を閉めてから、三十年余りが過ぎ去ろうとしていた。

今日の偶然の出会いを、現在の自分は、夢だと心の中でつぶやいた。過去の自分が、それは現実だと引き止めた。運命が過ぎ去った時間の扉を叩き開けようとしていた。桜山ゴルフ場に着くまであの彼女の微笑みを、のどかな景色を背景に助手席に乗せて走った。

やがて小高い丘の中腹に、ゴルフ場のクラブハウスが朝日に輝いて小さく見え隠れした。ゴルフ場での受付の手伝いも終わり、自分のスタート時間になった。

同じ組のメンバーの皆さんに、「おはようございます。今日はよろしくお願いします」と、挨拶をした。気持ちが昂っていたが、冷静に競技に参加しようとした。

でもあの彼女の笑顔が、何度もゴルフボールと一緒に飛んだ。何時ものようには、集中できないまま一日の競技を終えた。

表彰式での光洋金属の社長の挨拶もうわの空だった。やがて宴席が始まった。隣に座っていた同じ組の桑田部長が話しかけた。

「滝沢君、今日は気が抜けた様なプレーでしたね。何時もとは違う様に見えましたよ」

鉄平は笑いながら首を少し傾けて答えた。

「そうですかね、私は何時もと同じだと思いましたが」

言い訳がましくいった。

横からいつも親しくして頂いている加藤さんも楽しそうに笑って話しかけてきた。

「滝沢さんはね、今日、家を出る時にね、噂の美人の奥さんと喧嘩をして来たのだと思いますよ」

温厚でゆっくりした口調でひやかした。

鉄平は笑いながら聞いていた。

「加藤さん、私の家内に会った事がありますか?」少しふざけていった。

「はい。ありませんけど、今度、美人の奥さんにぜひ会いに伺いたいと思っていますよ」

「ぜひ来てくださいね、家内には加藤さんが来られるから特別に化粧を入念にするようにといっておきます。でも加藤さん。帰りに絶対に期待外れだったといわない約束をしてください。楽しみにお待ちしています」

そんな冗談をいって、皆で大笑いをした。

 

表彰式も終わり、光洋金属の社員の皆様や参加者にお礼の挨拶を済ませた。

夕暮れの綺麗な西日に追いかけられて家路へと車を走らせた。

家に帰ると、奥から濡れた手をエプロンの前で拭きながら、光里が小走りで玄関まで迎えに出てきてくれた。

「お帰りなさい、今日は成績があまり良くなかったでしょう」何時もの笑顔でいった。

「どうして分かったの」

「妻ですもの玄関から入ってくる音ですぐ分かりますよ」

「玄関の戸を開ける音で? それはすごいね」

「冗談ですよ、そんなの分かるはずが無いでしょう」

 

鉄平の顔を見て嬉しそうに微笑みながら、両手をポンと胸の前で叩いた。妻の冗談のおかげで、何かほっとしたように感じた。その日は、夕食を終えて寝付くまで胸の高まりは静まる事は無かった。

睡魔が襲ってくるのに合わせて意識が現実から離れていき、隣で寝ている妻の寝息が聞こえなくなった頃にようやく鉄平も眠りに落ちることができた。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。