第二章 抱きしめたい

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途中、手前の音楽室の前でコーラス部の女子の澄んだ歌声が聞こえた。まるでピアノと歌声が手を繋いでいるようだった。

「小さい秋見つけた、小さい秋見つけた」

僕達は廊下で今頃秋は無いよねと言って声を出さずに笑った。

しばらく聞いていると今度は「春よ、来い、早く来い」が聞こえた。僕達の話が聞こえる訳はないのだが。二人で声を出さずに、お互いの肩を叩いて笑った。

鉄平が何かを思い出した。

「確かうちのクラスにもコーラスの部員がいるよね」

「内田さんだよ、コーラス部の部長だよ。綺麗な澄んだ声で話す子だよ」

「ああ、明るい感じの子だね」

森山は文化祭の打ち合わせの部長会議に代理出席した時に雑談をしたらしい、小学校の同じクラスだった華岡が内田に頼んで何回かコーラスに来ていたと言っていた。鉄平は今まで内田と特に話した記憶は無かった。

テレビのニュースで、地方にある山々の残雪の縦線が少しずつ増えている頃。いよいよ高校受験が始まる。鉄平達の仲間は、ほとんどが同じ県立高校を受験する。

二月の寒い雨が降っている放課後、ほとんどの生徒が帰った教室を出たところで、数回内田さんに会いに来ていたコーラス部の一年生部員に呼び止められた。

「滝沢さん、部長が大事な要件があるので音楽室で待っているので、すぐに来てほしいと言っていました」

「大事な要件て何?」

部員は「私達には分かりません」と答えた。

鉄平は、音楽室まで行き、ドアの前で声を掛けた。

「こんにちは失礼します。誰かいますか?」

「はーい、どうぞ入って」

部長の内田さんの澄んだ声が聞こえた。部屋に入るとピアノの前に部員が十名位並んでいた。内田さんが鉄平の耳元で、そこのテーブルの椅子に座ってと言った。内田さんがピアノを弾いて練習が始まった。しばらくすると入口のドアが開き一人の部員が入ってきた。

それは、え! 華岡さんだった。僕の座っているテーブルに座って、これを受け取ってくださいと言って綺麗に包装された箱を差し出した。

そうか今日は二月十四日だ。バレンタインデーだ。

コーラス部の内田に頼んだのだ。なぜ内田は直接鉄平に華岡から頼まれたと渡さなかったのか。内田は華岡にこれは貴方が彼に直接渡さないと意味が無いのよと言ってこの場面を設定したのだ。

「有難う」

華岡さんにお礼を言って部屋を出た。内田がなぜこんな方法を選択したのか、もう一つ訳があった。それは鉄平も理解していた。

去年のバレンタインにある事件があった。学校で一番の美人だと評判の三年生の女子が、同じクラスの友達に頼まれてチョコレートを頼まれた男子に直接渡したのだ。それを離れた所から数人が見ていた。二人が、新カップルだと学校中で噂になった。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。