世界最初の産業国家オランダは、一七世紀になると産業的に後進国家であったイギリスが定めた航海法によって挑戦を受けるようになりました。

オランダは、急きょ使節団をイギリスに派遣して、航海法の撤回とオランダの年来からの主張である「自由航行、自由貿易」の原則の確認を求めましたがイギリスに拒否されて第一次英蘭戦争(一六五二~一六五四年)に発展しました(この当時は、イギリスは産業面でオランダに劣り、露骨な保護貿易をとったのです。オランダが自由貿易、イギリスが保護貿易、一九世紀になるとイギリスが自由貿易、ドイツ、アメリカが保護貿易、二〇世紀になるとアメリカが自由貿易を主張しました。二一世紀のアメリカ・トランプ大統領は中国に対し関税を一方的に引き上げて大々的な貿易戦争を中国にしかけていますが、その結果は社会主義国・中国が自由貿易? いずれにしてもその時代の産業競争力の強い国家が自由貿易を主張します)。

その後も第二次英蘭戦争(一六六五~一六六七年)、第三次英蘭戦争(一六七二~一六七四年)を経て、一八世紀に入るとオランダの経済成長は緩慢になってきました。

オランダの大商人達はロンドンを新たな貿易拠点として使用するようになり、一七二〇年頃より、オランダ経済は発展しなくなっていきました。一七八〇年頃には、イギリス王国の総生産額は、オランダ共和国のそれを上回るようになりました。イギリスでは産業革命が始まっていました。

第二章 産業資本主義

《一》イギリスの産業革命と産業資本主義の誕生

産業革命とは

産業革命とは、一七六〇年代から一八三〇年代にかけてイギリスの特定の地域で進んでいった「工業化」の現象で、明らかにその産業的、社会的影響があらわれるようになった一九世紀になって、あとから「産業革命」と名づけられました。

一八世紀後半に紡績機械の改良をきっかけとして、イギリスでは新興の木綿工業が飛躍的に発展しました。これが産業革命のはじまりでした。

産業資本は、この産業革命により登場した資本形態であり、それに先立つ商業資本や高利貸資本とは異なり、生産過程をその内部にもっていました。産業資本とは、一八世紀後半から一九世紀前半にかけての産業革命の結果成立した資本主義的生産の基軸となる資本形態のことであり、主たる資産が産業設備である資本のこと、また、産業とくに工業を基盤とする営利企業のことをいいます。