日本中を不安にした年金問題

これだけ急激に少子高齢化が進みますと、現役世代(生産年齢人口、一五~六四歳)に対し、それ以外の従属人口の増加が経済や財政にとっていよいよ重荷になってくることです。

一九九五年から生産年齢人口は減り始めていましたが、九〇年代は一〇人以上の現役世代で一人のお年寄りを支えるおみこし型でした。二〇一〇年代は三人で一人を支える騎馬戦型になって、第一次安倍内閣のとき、年金問題が大問題となりました。

二〇〇七年五月に国民年金など公的年金保険料の納付記録漏れが五〇〇〇万件発覚し、国民の大きな怒りを買いました。そもそもは、一九九七年に公的年金加入者に「基礎年金番号」を割り当てて加入記録を一元管理しようと試みた際に、結婚して名前が変わったケースや単純な入力ミスなどで、記録から消えた年金が生まれたのです。

安倍内閣も年金事務の当事者である社会保険庁の怠慢を批判しましたが、監督責任もあって七月の参院選における与党大敗の最大の原因となりました。

当時の安倍首相は「年金問題は一年以内に一円まで解明してみせる」と大見得をきっていましたが、その後の総選挙で自民党は敗れ、民主党政権になりました。民主党政権のとき、東日本大震災、福島第一原発事故が起き、原発処理の不手際などもあって民主党政権は短命に終わりました。その最後の党首討論で安倍自民党党首(野党)は野田首相を責め(年金問題は自民党政権時代の責任でしたが)、社会保障問題は挙国一致で取り組むとして解散しました。

しかし、政権についた第二期安倍内閣は史上最長の九年(菅内閣を入れて)近くを担当し、年金問題は内政最大の問題でしたが、安倍首相は年金問題にはいっさい触れず、先送りしてしまいました。

二〇二五年頃には日本の人口構成は完全な肩車型になります。つまり、生産年齢人口一人台になり一人のお年寄りを支える肩車型に移行していきますので(逆に年少従属人口指数は減りますが)、きつくて三歩も歩けなくなり、その頃には官僚もさすがにどんな計算をしても年金制度の説明はつかなくなるでしょう。

自民党政権は今でも「一〇〇年安泰の年金制度」と言っていますが、五〇年後、一〇〇年後には日本人口が半分や三分の一になる可能性があるのにどうして一〇〇年安泰でしょう。