第一章 失われた三〇年

《一》平成三〇年間─何もしなかった日本

平成三〇年─何もしなかった日本

堺屋太一さんの近未来小説『平成三十年─何もしなかった日本』が一九九七年(平成九年)に朝日新聞に連載されました。堺屋さんは通商産業省時代、筆者の先輩で現役時代には面識もあり、『油断!』『団塊の世代』など彼の近未来小説には定評があり、いつも読んでいました。

この小説では二〇一七年(平成二九年)~二〇一八年(平成三〇年)の日本を舞台にし、産業情報省(架空の省庁)勤務の主人公・木下和夫の視点から描かれ、日本は旧態依然としていて改革に及び腰で問題を先送りにする政府の無策を描き、徐々に衰退しつつある日本経済を克明に描いていました。国内の産業の空洞化、国際的な競争力の低下、少子高齢化による社会保険の負担の増大や受給額の減少は社会的に大きな問題になっており、政治的には沈滞感、閉塞感が漂っている様子を予測していました。

その後、平成三〇年が終わってみますと、結局、堺屋さんの予測通り、日本(日本政府)は何もしませんでしたし、予測通り、日本は衰退してしまいました。

堺屋さんがこの小説を書く二年前の一九九五年(結果的に見ますと、この年は日本の生産年齢人口がピークに達し、以後減少していました)、筆者は通商産業省を退職し、『改革か衰退か』(日本は今改革しないと衰退してしまう)を掲げて、ある地方の選挙に出て敗北してしまいました。

堺屋さんがこの小説を書いた一〇年前、筆者は通商産業省機械情報産業局電子機器課長をして三年近く日米間で三〇回近く日米半導体問題、日米スーパーコンピュータ問題で日米交渉をしていました。というのは当時日本の半導体の世界シェアは五〇%を超え、スーパーコンピュータもアメリカを凌駕して世界最速となっていました。

アメリカは国防上、問題ありとアメリカの通商法スーパー三〇一条に基づいて、日本に制裁を課しました。現在の米中の貿易戦争と同じで日本の先端技術のレベルがアメリカの技術レベルを超えると国防上という名目のもとに日本に制裁を課したのです。実際、一九八〇年代後半の日本のバブル期には円高の影響もあって、日本は一人当たりGDPでは、アメリカを超えて世界一になっていました。まさに日本の産業力が最高になった時期でした。

堺屋さんはそれから三〇年後の日本を予測して小説にしたのですが、その小説通り日本は何もせず(改革せず)最初は「失われた一〇年」と言われました。次に「失われた二〇年」、その後も衰退の一途をたどって、ついに「失われた平成年間三〇年」になったのです。