1.人に受け入れられたい一心から崩れていく幸せな日々

「志望した会社に就職して一人暮らしを始めたわけですから、本当に新しい人生が始まったんだと思い、毎日が楽しい日々でした。一人暮らしする条件として、月に一度は実家に帰らないといけなかったのですが、それさえ苦にならないくらい元気でした」

「会社では、朝の掃除から資料の整理、お茶くみから買い出し、電話の取次ぎやFAX送信、原稿の入力や誤字脱字のチェック、スケジュール表の作成など、新人ですから雑用すべてやらなくてはいけなかったのですが、人と一緒に仕事をすることが嬉しくて、苦になることは何もなかったんです。

特に意地悪されるでもなく、きつくされるでもなく、逆に皆さんが、それでいいよとか、ありがとうとか声をかけてくださるので、そんな何気ない一言一言が新鮮で、こんなにほめられて、お給料までもらっていいのかと思うくらい舞い上がっていました」

「今思えば別に皆さん普通に接してくださっていただけで、ほめるとかではなかったのでしょうけど。でも自分では認められた気がして、嬉しかったんです、本当に」

ここで彼女は少し口を引き結ぶようにした。彼女の中で何か気持ちが動き始めたのだろうか。それとも私の感情が揺れたためにそう見えただけだったのだろうか。それ以上彼女の表情は変わることなく、相変わらず私の顔は見ないまま、ぼんやりと中空に目を向けて話し続けた。

「アパート暮らしも、人に気兼ねなく暮らせるので解放感に溢れていました。気を遣わずにいるということがこんなに楽だとは思いませんでした。一人で寂しくなるのではないかと心配もしたのですが、毎日仕事の帰りに買い物をして、帰ったら食事を作ってお弁当の用意をして、洗濯をしてご飯を食べて風呂に入ったら、もう寝る時間。寂しいと思ったり、悩んだりする暇もなく過ごしていました」

「週末は、仕事で覚えなくてはいけないことをおさらいしたり、掃除や部屋の飾りつけをしてみたり。一人暮らしとか新人OLの服装などの特集が載った雑誌を見つけると、買い込んでは読みふけりました。ああ、普通の人はこんな暮らしをしているんだ、そう思ってそれを真似ようとしていた気がします。

やることはいくらでもあり、どれも面白いことばかりでしたし、自分がどんどん普通の人の暮らしに近づいていくような気がして、人生が開けたというんでしょうか、希望とか未来という言葉が実感できるような生活だったと思います」

「こんな風に、会社に行くのも、買い物して部屋に帰るのも、食事を作り部屋を掃除するのも、何もかもが幸せで夢のようでした。実際夢だったわけですけど」

このとき彼女の口元が、かすかだがはっきりとゆがんだ。悔恨だろうか、自嘲の笑いだろうか。自分をあざ笑うだけの感情がまだ彼女に残っているのだろうか。そう思いながら彼女の乾いた声に耳を傾けた。