第Ⅱ部 人間と社会における技術の役割

Ⅱ-3 技術と経済

コラム⑤ 金沢の文化戦略

私の住んでいる石川県および金沢市は、伝統工芸の盛んな地域です。しかし、この伝統工芸は必ずしも自然発生的に生まれたものではありません。以下に石川県立美術館の名誉館長である島崎丞氏のご講演でお聞きした話をもとに紹介します。

江戸時代の加賀藩の第3代藩主利常は、百万石の安泰を確保するため、金沢にさまざまな工芸を興す政策を取りました。全国から工芸士を集めて、お城の近くに学校も作りました。

例えば、京都から友禅の工芸士を呼びよせ、全国から染物の材料を集めて研究しました。こうして加賀友禅が作られました。

金箔の技能者も集めました。まさに、工芸で加賀藩を隆盛させるという文化戦略だったのです。

利常自身も大変な研究家で、江戸への参勤交代の途中で草花をスケッチした絵が残っているそうです。そして、江戸ではわざと鼻毛を伸ばし、自分はバカな殿様で、幕府に反抗するような能力はないことを示しました。

その一方でお城を挟む二つの川沿いにお寺を並べ、攻められたときには、これらのお寺に守りを待機させて迎え撃てるようにしました。そのなかには殿様が最後に立てこもるお寺を作り、外から見ると2階建て、なかに入ると3階建てといった仕組みを作りました。この寺は今では「忍者寺」と呼ばれています。

こうして育った工芸が、江戸時代の間に発達を続けて伝統工芸として受け継がれ、現代でも伝統工芸の街・金沢を支えています。武力や権力でなく、文化の振興が人や社会を豊かにしてきたことを示していると思います。

現代の工学技術から見ても、金箔作りにおける薄い金の変形、山中塗の木工切削技術、輪島塗の漆材料、九谷焼の色具合、象嵌の手法など、各種の伝統工芸は興味深いものばかりです。日本の金箔の99%は金沢で作られており、1986年~1987年の金閣寺修復に使われた金箔もすべて金沢で作られたものです。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。