第Ⅱ部 人間と社会における技術の役割

Ⅱ-5 技術と科学

6. STAP細胞事件から思うこと

STAP細胞事件は、2014年1月のNatureに掲載された小保方晴子さんの二つの論文に間違いがあることが問題となり、論文が撤回されるとともに、関わりのあった先生(笹井先生)の自殺まで発生したものです。

STAP(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency)細胞とは、刺激による分化細胞の多能性誘導現象という意味です。ここで、分化細胞と「多能性」について補足しておきましょう。

人間の細胞は、はじめたった一個の細胞から出発するのですが、細胞分裂を繰り返すうちに頭や胴体、足や手、そして各組織や器官の細胞に分かれていきます。このように、決まった組織や器官を作るように分かれた細胞が分化した細胞です。

これに対し「多能性」とは、その細胞が三胚葉(受精してから3週間後の細胞)由来のいろいろな組織や器官になることができることを意味します。いったん分化した細胞は、「多能性を取り戻すことができない」と言われていましたが、山中伸弥教授のiPS細胞によって、いったん分化した細胞でも「多能性」を取り戻すことができることが明らかになりました。

体のなかには、分化した細胞でも「幹細胞」という、体の各部において新しい細胞を補給する元になっている細胞があります。例えば、造血幹細胞はリンパ球、赤血球、血小板のどれにでもなります。

小保方さんの研究は、こうした幹細胞に対して細いガラス管に通すなどの刺激を与えることによって、「多能性」が誘起されると言うものです。「多能性」を有する条件として、①培養系での確認をすること、②マウスへの移植ですべての組織形成がされること、③キメラマウス(初期胚と注入した細胞由来の2種類の遺伝情報を共存するマウス)を作製することが求められました。

このなかで、①、②までは自分たちでできましたが、③はできないため、2010年10月に理研の若山照彦先生に依頼しました。2011年10月からの実験で若山先生から、小保方さんが刺激を与えた幹細胞をマウスの初期胚に入れて、キメラマウスができたと連絡がありました。

2012年12月からは理研の笹井芳樹先生が論文作成の指導を行い、笹井先生がこの細胞を「STAP細胞」と命名し、2013年3月にNatureに投稿して、2013年12月に論文として受諾されました。2014年1月28日に記者会見を行い、大フィーバーとなりました。

ところがその後、論文の写真に切り貼りがあるなどのミスが指摘されました。そして5月ごろから、若山先生が「STAP幹細胞が若山研究室(若山研)になかったマウスの系統で作製された」と発表し、後に「STAP幹細胞は若山研にあったマウスのES細胞の系統と一致する」と訂正され、理研の調査委員会が、STAP細胞から作製されたはずの「成功したキメラ」は、既存のES細胞から作製されたものであったと報告しました。

以下に、私が「STAP細胞事件」から感じたこと、思ったことを述べます。

小保方さんは、さまざまなミスもありますが、大変有能で頑張り屋の研究者だと思います。むしろ問題は、思いがけない成果に興奮した若山教授が、名声を求めて混乱した行動に出てしまったところにあると推測されます。笹井教授も「大発見」に興奮して疑義を挟まず、論文作成を後押ししてしまったと思われます。

刺激を与えると細胞に何らかの変化が起こる、あるいは多能性を取り戻すという可能性を研究すること自体は、大変興味深いテーマだと思います。マスコミの異常な取材攻撃が、この問題を「事件」に祭り上げてしまったように思います。

小保方さんを犯罪者扱いし、結局は真実を見逃してしまったのではないでしょうか。しかし、データの取り違えなど、捏造と間違えられないミスを防ぐことはとても大事なことです。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。