先生の家に来て、一カ月が経った。 

あとのことなど何も考えずに飛び出してきたけれど、日々の生活は苦難の連続だ。少しは慣れてはきたものの、まだまだ足手まといになる方がずっと多い。

「もう、ほんまにぼんやりやな。今うちが言うたこと、もういっぺん言うてみ」 

景子さんが私の手を取って、包丁を握り直させた。白菜も長ネギも椎茸も、私が切るととても鍋の材料になると思えない。

「あんな、野菜というもんはどうやったら美味しいに見えるか考えて切らなあかん。あんたかて同じやろ。服を着るとき、ちぐはぐな格好してたら気分がええことないやろ」

考えろ。いつも決まって言われる。

そのたびに自分の空っぽの頭が恨めしく、目の前が塞がれてしまう。さすがに家を出るときは、これまでになく考えを張り巡らせた。

あのとき、初めて自分と神崎家の将来について思い悩んだ気がする。

それでもこれまでの二十一年間、何をしてきたのかと情けなくなってくる。昼も十一時を過ぎると、どやどやと客がやってくる。

言い慣れていたはずの、いらっしゃいませ、さえまともに言えず景子さんの背中に隠れて脈略もなく動き回る。

二時を回るまでになんべん、邪魔や、と言われるか。過呼吸のような息苦しさに、この場を逃げ出したくなる。

「ぼちぼちやったら、ええで。そんな悲観せんでも、一日に一回でも上手くいったら充分やから」 

一日一回。その壁が、なかなか突破できない。

先生は仕事から帰ってくると必ず店を覗いてくれて、悪戦苦闘している私の頭を優しくぽんと叩く。そんなときは迷惑をかけているという済まなさと、ずっとここに居たいという願いが混ぜこぜになって、お皿が手から滑り落ちそうになる。

先生は、私が高校一年生から通い始めた塾の講師をしていた。専門科目は国語と古典と漢文。

その科目だけは得意とまではいかないものの、五段階評価では「四」の成績だった。静かで穏やかな教え方が物足りないという生徒もいた。

でも私は先生の授業時間だけは、家では味わえない安堵感があった。本気で真剣に勉強しようという気持ちになれたのは、その授業だけだったけど。

万に一つの可能性もないけれど、もし家業を継ぐハメになっても、関数も英語の文法、戦国武将も、それを学んで何の役に立つのか全く分からない。

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※本記事は、2021年11月刊行の書籍『渦の外』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。