朱里あかり。待ちなさい。朱里!」

背中から追いかけてくる母親の声を振り切って鉄の門を開けようとしたけれど、鍵がかかっている。バッグを道に向かって放り投げ、門を乗り越える。道端に落ちているバッグを拾い上げ、大通りに向かって走った。裏口からこっそりと出たのに、なんでバレたのだろう。普段は滅多に家に居ないのにこんなときに限ってと、腹立たしさが湧いてくる。

右足と左足がそれぞれ思うままに動いているようで、必死で走っているはずなのにスピードが出ない。目の前の歩道橋を渡ったら、先生が待っている。息が切れて足が縺れて、それでも止まるわけにはいかない。たった二日分の着替えを詰めただけのバッグが重い。髪が額にも頰にも張り付く。階段を登ろうとしたら、後ろからバッグを摑まれた。振り向くと、父親の顔が目の前にあった。

「朱里。こんなことをしても――」

摑まれたバッグを必死で引っ張ったが、男親の力には勝てない。私がバッグを放したのと同時に、父親も手を放した。二人の足元にバッグが落ちる。一瞬、目が合った。父親はバッグを拾い上げ私に渡した。そのバッグを引ったくった。歩道橋を走って渡り、階段を二段飛びで降りる。約束通り、目の前に先生が居た。

街灯の柱にもたれるようにして立っている先生は、いつも以上に弱々しく見えた。その体に思いっ切り飛び付いた。先生は私の手を摑むと、私を引き摺るようにして走り出した。はあはあ。はあはあ。お互いの息遣いが聞こえるほど、必死で走る。やっとバス停に辿り着いた。

計画通り、定刻にバスがやってきた。座席に並んで座った途端、ふうぅと長い息が出た。心臓が、助けて、と叫んでいる。停留所を二つ過ぎて、やっと声が出た。

「息切れで死ぬかと思うたわ」

「落ち着いたらええ。もうバスに乗ったんやから」

「父親が追いかけてきてん。摑まったときはもうアカンて思うたけど、なんでか見逃してくれてん」

あのときの父親の目が浮かぶ。あれは諦めの目だったのか。それとも、行け、と私の背中を押したのか。その真意が測れないまま、バスは走る。ゆらゆらと体が揺れる。七つ目の停留所で降りた。何度も振り返りながら、先生に手を引かれて行った先は小さな食堂だった。藍色に”もみじ”と白く染め抜かれた暖簾が、風になびいている。

「ここが前に言うてたお袋がやってる店やから、もう安心したらええ。この二階が住まいになってるんや。今日から神崎かんざきさんは、ここに住むんやで」