「あん人は、父親は戦死。母親は弦やんを産んですぐおらんようになった。実際の戦争は知らんけど、戦争を経験するよりもずっと辛い目に負うてきたんやろ」

ここで弦さんと会うのは、まだ三度目だ。何となく煙たそうで話したことはない。

「弦やんは、自分の生い立ちや苦労話をしよて思うてるんやないで。戦争の話もせえへんな。あん人は語り部やないんやからな。弦やんが言いたいのは、人間はどんな環境であろうが生きていけるて、生きていかなあかんて言いたいんやと思うわ。また時間があったら、聞いたってや」

一年前にこの話をされていたら、ふぅん、なんて軽く受け流していただろう。私にとって生きるなんて当たり前過ぎて、そんな言葉すら意識の中になかった。それは、自分の身体の外側を流れている空気のように無感覚なものだった。

ラジカセから、ラテン系の音楽が聞こえてくる。フィリッピンパブでダンサーをしているジャニスが、プロの踊りを披露する。アップテンポで陽気な曲が響いているのに、ジャニスの周りだけ凪いだような風が漂っている。皆が無言で、サンダルの踵が床を踏むステップの音だけが耳に滑り込んでくる。賑やかでかなりの音量なのに、静寂が私を包み込む。

そのひととき、私は私がこれまで過ごしてきた日々を考える。体中、その飽和量を超えるほどの不満。でも生活するための不安は、まるでなかった。目覚めれば朝食がテーブルに並び、嫌いなミルクには口も付けず苦手な蜂蜜入りのヨーグルトは映美へと滑らせた。私にとっての生活は父親と母親を詰ることであり、寝食ではなかった。

地面から足が浮き上がっているような頼りない生活が、今さらながらに一グラムの重みすら持たない無意味な時間に思えてくる。無心で踊るジャニスや、帰らない夫を待ち続けるトミィの母親。皆が今、力強く逞しく時を重ねている。私は、何と軽々しい時間の中に身を置いていたんだろう。彼らのように這いつくばってでも生きていこうと思える日が、いつか来るだろうか。

先生は壁にもたれて目を閉じている。細い身体がリズムを刻んでいる。ついさっき、先生と笙鈴を見て湧き起こった感情は何だったんだろう。ちくちくと細い針が突き刺さるような痛みと不快感。不意に先生が何を考えているのか、その胸の中にどんな風が吹いているのか知りたくなった。

一時間もバルコニーに居ると、身体が冷えてきた。居間に下りると、マントルピースに置かれた色とりどりの花が真っ先に目に入る。白い唐古焼きの花器が、オレンジ色の明かりのせいかくすんで見える。花首がどっちを向いてるか分からない角度で、あちこちに捻曲がっていた。

最近、父親と母親の状態が良くないのに気付いてはいたが、この花を見れば納得だ。別に父親と母親の関係がどう捻れようと、私の日常は普通に流れていくだろうけど。でも、私には紛れもなく父親母親と呼べる人がいる。そして、彼らによって私の暮らしは成り立っている。父親の顔を知らないトミィの味噌っ歯が浮かぶ。

「ボクのパパ、外国いるよ。でも、がっこ行くとき、帰る。ボク、ランドシェル、もらう」

いいね。くしゃくしゃの頭を抱き寄せると、トミィはきゃきゃっと声を上げた。弦さんは、戦争で両親を失い七十歳を越える今日までどうして生きてきたのか、まだ話を聞いていない。