第2章 かけるくんの子ども時代

4 中学・高校時代

このように小学校は楽しく過ごすことができました。しかし、中学生になると勉強も難しくなり、通学距離も長くなります。かけるくんは、お姉さんと比べても筋力が弱く、手が不自由で、やることもみんなより時間がかかりました。かけるくんは、授業を理解するのに問題はありませんでした。

しかし、これだけ障害が重いと、たとえサポートがあっても普通の中学校に通うのは難しいと考えられました。そのため、かけるくんのお母さんは、中学校からかけるくんを特別支援学校に入れるつもりでした。しかし、かけるくんが公立中学校に通えるように、すでに北名古屋市の教育委員会は動いていました。

お姉さんが卒業して1年経っていましたが、お姉さんが使っていた特別な机が準備されていました。食事やトイレの介助をしてくれる支援員の予算も確保していただけることになりました。かけるくんが中学校に入学した10年前は、障害者が普通に学ぶことが今よりも難しかった時代です。海川恒明議員や教育委員会の方々が、時代を先取りした配慮をしてくださったおかげでかけるくんは普通中学校に通うことができました。

皆の期待を背に、かけるくんは地元の北名古屋市立白木中学校に入学しました。かけるくんが勉強をしている様子は、とても変わっています。前述のお姉さんが使っていた特別な机を使って授業を受けました(写真1)。

[写真1]中学時代の授業中の様子。机の丸くなっている縁に体を預けて、前かがみになって勉強をする。油断すると首が机についてしまうので介助者に戻してもらう。

体を支えることができないので、机に体重を預けています。首をほとんど固定できないので、油断すると頭が机についてしまいます。手の筋力も弱いので、自分で体を戻すこともできません。介助者がいない場合、しかたがないので机にあごを乗せた姿勢のまま勉強しました。

知らない人がその状態のかけるくんを見ると、絶対に寝ていると勘違いすると思います。私も一度、かけるくんが寝ているのかと思ったら、頭を机につけたまま勉強していたことがあったので驚いたことがあります。

部活は囲碁・将棋部に入りました。本人は野球部志望でしたが、入部が認められませんでした。かけるくんは何度も交渉したのですが、ボールが当たってけがをする危険性があるため、野球部には入部できませんでした。

もちろん、かけるくんはフィールドプレーヤーとしては戦力になりません。しかし、ほかの中学の分析やスコアラーなど、プレー以外のことでクラブに貢献することはできたかもしれません。ただし、けがをする危険性も考慮すると野球部の判断はやむを得ないと思います。

体育祭では、かけるくんはクラスの旗を電動車イスにつけて、走り回って応援しました(写真2)。ここでも、手足が動かないからといってただ見学するだけではなく、かけるくんができることで何か役割を与えようと配慮する優しい気持ちが読み取れます。

[写真2] 体育祭の写真。クラスの旗を電動車いすにつけて応援している。

課外授業では、名古屋港水族館に社会見学に行ったり、修学旅行では東京ディズニーランドに行ったりしました。社会見学のときは、食事は友人が手伝ってくれました。修学旅行中は支援員の方がついてくださったので、お母さんやおばあさんは同行せず一人で旅行に行きました。旅行中の食事やトイレの介助は支援員の方がしてくれました。

修学旅行では、かけるくんはジェットコースターに乗りたかったのですが、残念ながら身長制限にひっかかって乗ることができませんでした。ビッグサンダー・マウンテンに乗ったりすると体がバラバラになるかもしれません。

主治医の私としては、かけるくんがジェットコースターに乗らなくてよかったと思います。シートにもうまく座れないうえに、シートベルトもうまくかけられないので、現実的には安全にジェットコースターに乗るのは難しいと思います。

もし、かけるくんがジェットコースターに乗ったとすると、我々が体験するジェットコースターの100倍くらいのスリルを味わうことができます。普通のジェットコースターが最大で3Gくらいの加速度なので、かけるくんの筋力が健常人の100分の1だとすると、300G(!)に相当するとてつもない加速度を感じることができます。これはスリルを楽しむという話ではなく、命にかかわるレベルだと思います。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。