第1章 出会いから診断まで

1 プロローグ

それは、患者さんのお母さんから送られてきた一通のメールから始まりました。

「岩山先生、脊髄性筋萎縮症の治療薬として、スピンラザ髄注12㎎という薬が認可されたことを知りました。1型の人が対象だそうですが、2型の人も対象になるときが来るのでしょうか。うちの子たちに投与しても手遅れでしょうか。岩山先生が何かご存じでいらしたら教えてください。どうかよろしくお願いします」

それが、希望の薬「スピンラザ」との出会いでした。

 


2 かけるくんとの出会い

私は愛知県にある愛知医科大学で小児科医をしている岩山秀之と申します。かけるくんとは大学小児科の一般外来で初めて会いました。その日は月曜日で、たまたま担当の先生が夏休みを取っていたので、私が代わりに一般外来の診察をしていました。

大学の一般外来というのは、いわゆる風邪や肺炎、胃腸炎、インフルエンザなどの一般的な疾患を診察する外来です。小児科クリニックに受診するときをイメージしてもらうとわかりやすいですが、体調が悪い患者さんが受診したときに、まず診察を行うという役割があります。

普通の小児科クリニックとの違いは、さまざまな難病を抱えている患者さんが受診することです。例えば、脳性まひやてんかんなどの小児神経疾患、白血病や固形腫瘍などの小児血液・腫瘍疾患、慢性腎炎などの腎疾患、などを抱えた患者さんが風邪を引いたときに受診します。

かけるくんは、お母さんと一緒に電動車いすに乗って入室してきました。そのとき、私はかけるくんを特に気にすることもなく、

「今日はどうですか?」

とお母さんに声をかけました。小児科では患者さん本人から症状を聞く(問診と言います)ことは少なく、お母さんから問診を取ることが多いのです。

そのうえ、かけるくんは電動車いすに乗ってきたので、私は先入観で脳性まひのお子さんだと思いました。脳性まひのお子さんは、軽症のお子さんでは足の運動障害があるだけですが、中等度以上になると手と足の運動障害と一緒に知的障害も合併します。電動車いすに乗るくらいの運動障害がある脳性まひのお子さんだと知的障害もあるだろうと早合点したのです。


すると、かけるくんが、

「先週の金曜日から熱があって、咳が出ます」

としゃべりました。


このときの私の偽らざる思いは、(この子、しゃべるぞ!)という驚きでした。知的障害のある脳性まひのお子さんだと思っていたら、かけるくんはこちらの問診に対してすべて自分で答えるのです。

小児科医の直観として、運動障害はあるけど知的障害はまったくないと感じました。

慌ててカルテを見直したところ、「本人の病名は診断がついておらず不明である」「母はパニック障害があり、今までの経過を聞くと怒り出す」と記載があります。

診察を始めて10分のところで、先週の金曜日から37度台の発熱があること、夜になると37 度台後半まで熱が高くなること、咳がひどくて痰が絡むことがわかりました。

かけるくんを診察すると、苦しそうに肩で息をしていました。また、ケトン臭といって、水分が十分にとれていなくて脱水になっている患者さんで見られる独特のにおいもありました。

私がかけるくんに苦しくないか聞いたところ、

「苦しくはないがだるい」

と言っていました。

しかし、本人が言っていることとは裏腹に、かけるくんは肩で息をしており、見るからに苦しそうでした。全然大丈夫そうではありません。

そういったことを踏まえてお母さんにかけるくんの様子をお聞きしたところ、

「この子は我慢強い子で、少しくらい苦しくても大丈夫と言います」

とのことでした。

熱は高くないですが、咳をしたときには痰(たん)が絡んで辛そうでした。痰の量も多いようで、咳をするたびにティッシュで口をふいており、その痰の色もまっ黄色でした。

胸の音を診察したところ、水泡音といって肺炎でよく見られる特有の肺の音が聞こえました。

そこで、私がかけるくんとお母さんに、

「肺炎の疑いがあるので入院にします」

とお伝えしたところ、二人とも、

「入院ですか?」と驚いていました。

おそらく、熱が高くなかったので入院する必要があると言われるとは思っていなかったのでしょう。


レントゲンでも肺炎があったので、抗生剤(細菌を殺す薬)を始めました。フィニバックスというカルバペネム系抗生剤を使用しました。普通、カルバペネム系の抗生剤は最初には使わず、いざというときにとっておく秘密兵器です。しかし、このときはかけるくんの状態が悪いと判断し、最初から強力な治療を開始しました。

採血をしていない状況で入院を決定したのですが、結果的にはかけるくんはすぐに病棟に上がって、速やかに抗生剤治療を開始することができました。細菌のなかでも一番増殖速度の速い大腸菌では、20分で倍になります。そのため、重症の肺炎などでは一刻も早く抗生剤治療を始めることが大切です。

このときの入院で、本人の言っていることを過小評価せず、熱や咳などの症状を適切に評価し、速やかに治療を開始できたことが、肺炎の治療のみならず、のちのち遺伝子検査や遺伝子治療を受けることになるかけるくんとお母さんの信頼を得るのに重要だったと考えています。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。