第3章 スピンラザ投与前

2 大学受験を目指して

具体的に受けられる配慮は、「受験時間が延長される(最大1.5倍まで)」、「マークシートを塗りつぶさずにチェックで解答できる」などがあります。手続きには診断書なども必要なので、私も他人事ではありません。かけるくんのお母さんと分担して、どんどん書類を進めていきました。障害者は受験を受けるだけでも、普通の受験生と比べて何倍も大変なのです。

もちろん、肝心の勉強のほうも大変です。かけるくんは数学や理科、地理や歴史は得意ですが、国語や英語が苦手でした。典型的な男子高校生の傾向です。算数も理解は良いのですが、書くスピードが遅く計算に時間がかかるのでなかなか点が取れません。夜遅くまで勉強して頑張っていたのですが、なかなか成績が伸びなくなりました。

ほかの受験生と同じ時間勉強しても、教科書をめくるにも文字を書くにも介助者の助けが要ります。四六時中、誰かが付き添って勉強を見るのは難しいので、どうしても学習スピードが遅くなります。

また、各大学の見学にも行き始めたのですが、どの大学もかけるくんの障害が重いことを見て及び腰でした。いくつかの大学は、障害を持つ学生のために授業のときの筆記などのボランティア制度がありました。しかし、ほとんどの大学が、手動車いすで移動して身の回りのことは自分でできる程度の障害を持つ学生が想定されていました。かけるくんのように、ほとんどすべてのことに介助が必要な重い障害を持つ学生を受け入れる体制が整っている大学は皆無でした。

9月に入り、受験勉強も佳境に差し掛かってきました。かけるくんにもお母さんにも成績が上がらないことへの焦りの色が見られるようになりました。私は、受験勉強ができる体制になったのが遅かったので、1年浪人するのは仕方がないと説明しました。センター試験まではまだ4ヵ月あるのでコツコツと学力をつけていく時期だと考えていました。

ある日の外来で、かけるくんから、推薦入試の推薦状を書いてほしいと依頼がありました。書類を見ると、お姉さんが通う私立大学の外国語学部の名前が並んでいました。お姉さんが在籍していたので、同じような進路に進んでほしいと考えたのでしょう。お姉さんは、高校生のときにスピーチコンテストで優勝するなど、推薦入試を受けるだけの実績がありましたが、かけるくんはそういった実績はありませんでした。

お母さんは、「かけるはこんなに障害があっても、高校は休まず通いました。それが何よりの勲章です」と言っていました。しかし、私は推薦状を書くことができませんでした。確かに障害があって高校に通うのは大変ですが、そのうえで受賞したり優勝したりといった実績が推薦入試には必要だと考えたのです。そのため私はかけるくんの推薦状を書くのを断りました。

かけるくんもお母さんもがっかりしていました。しかし、推薦入試だけが受験ではありません。かけるくんにもお母さんにも、推薦入試で大学に入っても十分な学力がないと授業についていけないこと、今は受験に必要な学力を身に着ける時期だから焦らずに勉強することが大切であることを繰り返し説明しました。

しかし、かけるくんもお母さんも、推薦入試やAO入試ばかりに目が行ってしまい、基本的な学力を身に着けることを諦めてしまっていました。そのような状況になると、私としてもサポートすることができません。非常に残念でしたが、かけるくんとお母さんに推薦入試やAO入試を目指すのであれば、私としては力になれないと伝えました。

その後、12月にかけるくんのお母さんから病院に苦情の電話がありました。主治医が主治医としての責任を果たしていないという苦情でした。病院の苦情担当の部署から調査の人が来ましたが、病気についてはしっかり診察していたこと、受験勉強も面倒を見ていたが途中で目指す方向が異なったこと、その後は私からのサポートはできなかったことを淡々と説明しました。

調査の人は、「それならしょうがないですね。あとはこちらで対処します」と言って、帰っていきました。私は、どこかの大学の試験を受けて、不合格の通知を受け取ってお母さんの怒りが爆発して私への苦情につながったのだろうと想像しました。

かけるくんがかわいそうだと思いましたが、脊髄性筋萎縮症の治療法もなく、受験勉強を教えるのが私の仕事ではないので仕方がないと割り切って考えました。私は、頭のなかの記憶の引き出しに「忘却可」のしるしをつけて、かけるくんのことを思い出すこともなくなっていきました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。