第2章 かけるくんの子ども時代

3 小学校時代

かけるくんは、おばあさんの貯金で120万円もかけて電動車いすをつくってもらいました。1年生のときは手動車いすでも特に大きな問題は起こりませんでしたが、電動車いすとなると話は大きく変わってきます。

最初、小学校の先生たちは電動車いすで事故が起こらないかをとても心配していました。そのため、かけるくんが電動車いすを運転できる範囲はかなり制限されていました。しかし、かけるくんが電動車いすを上手に運転できることがわかると、先生方は運転できる範囲をどんどん広げてくれました。

最終的には、学校の通学も電動車いすでできるようになりました。しかし、一人での通学は許可されず、必ず保護者が付き添いをしてくださいと言われました。そのため、かけるくんのおばあさんは毎日、登下校の付き添いをしました。教室で何かあってはいけないということで、教室でもずっと付き添いが必要でした。

実際、保護者が毎日教室にいると、先生にも生徒にも心理的な負担がかかります。毎日が授業参観のようなものですから。もちろん、かけるくんに何かあってはいけないので、付き添いが必要なことは理解できます。

しかし、障害のあるお子さんが親の管理から離れて一人で生活するという経験はとても大切です。判断基準を決めて、障害の程度に応じて規則を緩やかにすることも必要です。

保護者の方もすべてを学校に任せきりにするという姿勢ではいけません。学校と保護者が手を取り合って、障害のあるお子さんの成長を促していくという体制や雰囲気をつくっていくことが大切だと思います。

かけるくんは小学校の途中から、学校内でヘルパーさんがつくことになりました。元北名古屋市市議の海川恒明議員が、市教育委員会に交渉して、支援員としてヘルパーさんの予算を立ててくれました。勉強の補佐やトイレのサポートもヘルパーさんがやってくれたので、かけるくんのお母さんもおばあさんも小学校に出入りしなくてもよくなりました。

それでも、登下校は保護者が付き添いをしなければいけませんでした。なぜなら、ヘルパーさんは学校内だけだったからです。登下校のときはおばあさんが付き添いをして、かけるくんは自分で電動車いすに乗って学校に行きました。

ヘルパーさんの支援を受けて、授業を受けたり、給食を食べたり、体育を見学したりして、学校が終わったら帰るという生活を送りました。ただ、ヘルパーさんはまったくの他人なので、気の合う人もいれば、気の合わない人もいました。かけるくんがヘルパーさんに噛みついて、お母さんが菓子折りをもって謝りに行ったこともありました。

今のかけるくんに聞いてみると、「なんか冷たい感じのヘルパーさんだった。自分とは合わないなっていうので噛みついたのかな。噛みついたのは覚えているけど、なんで噛みついたのかは覚えてない」とのことでした。かけるくんはお母さんにこっぴどく怒られました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。