古代の農業

紀元前二〇〇〇年のメソポタミアのシュメールやナイル流域において、初期の穀物の収量が記録されておりますが、農耕技術の進歩によって耕地面積が増加し、人口が急速に一〇倍になりました。このころ開発された引っ掻すき(馬や牛などに引かせるプラウです。人が引くすきではありません)のお陰で、耕地面積が増加したためでした。

古代の農業の展開の多くは森林を開墾した草地を犂耕によって耕していました。とくに古代ローマや古代中国に重い犂が導入されたあとに耕地は拡大しました。紀元元年までに中緯度地域において農耕地の拡張がありました。東は中国やニューギニアからインド、西は西部ヨーロッパから、西アフリカのサブ・サハラ地域、南部アフリカに至るものであり、また、中央、南部アメリカでも同様の傾向がありました。

重い犂の導入とその後の馬の首当て(はも)の導入によって、農耕はまもなく丘陵山地に広がり、また、河川流域においても肥沃な下層土を掘り返して作物を栽培することが可能となって、栽培面積はさらに拡大しました。湿地や湿潤地の排水がなされ、牧草地となりました。

一〇〇〇年前までには、北ヨーロッパにおいて、耕作できる森林地域は、ほとんどすべてが開墾されました。農耕は広がると同時に進化を遂げ、西南アジアで栽培化された作物に、インドで栽培化された矮性わいせいコムギやワタなどが加わりました。また綿を織るインドで開発された革新技術は逆に西南アジアの方向に伝播しました。アフリカから伝播したモロコシ類やキビ類は南インドにおいても栽培されました。

このように人類は絶えず「創造と模倣・伝播の法則」の通り、農業作物の交流があったのです。ローマ帝国の時代にコルメラ(紀元前四~紀元六五年)が『農事論』という農業技術を総合的・組織的に集大成(一二冊)したものを書いています。ここに開墾の他に、農業技術の進歩によって食料増産の道があることを書物で示しました。

彼が全編を通じて強調していることは、地力の維持であり、家畜の堆厩肥たいきゅうひの使用によって、「大地をよみがえらせること」でした。エンドウ、ヒヨコマメ、レンズマメなどのマメ類を挙げて、地力維持のための緑肥使用の輪作技術についても述べています。

このコルメラと同時期に、中国においても『斉民要術』(紀元前一世紀)が著され、緑肥が地力維持のために重要で、アズキを犂すき込むことを推奨しました。また、緑肥だけではなくて、家畜・人間の排泄物、灰、骨、養蚕廃棄物など、各種の多様な堆肥を取捨選択して使っていました。

さらに中国においては、いろいろな輪作技術が、紀元前一世紀までに各所で確立していました。次の一五〇〇年間は、耕地の拡大と地力維持の堆厩肥の供給が穀類収量向上の要因となり、食料増産と人口とは一致して増大していきました。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『劇症型地球温暖化の危機』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。