- 3 産業資本主義から帝国主義へ

1. 帝国主義の台頭

世界でいち早く資本主義を生み出したイギリスは、海外への進出を進めました。そして、「帝国主義」と呼ばれる強力な侵略を進めることになります。産業資本主義から帝国主義への流れを[図表1]に示します。

写真を拡大 [図表1]産業資本主義から帝国主義への流れ

イギリスで発達した綿織物工業の生産は、その原料の綿花を求め、インドを植民地としていきます。国内では安い賃金で生産性を高め、海外へ消費先を求めていきました。

これらの工業生産を行う設備投資が大規模になり、多額の設備投資を行うための資金を供給する金融資本が発達しました。そして、生産をさらに大規模にするために企業の統合、集中が進み、独占資本が誕生しました。国内での安い労働賃金に対して国内での労働運動が活発になります。

一方、海外での原料調達、消費の押し付け、安い労働力の活用は各地での民族運動を発生させていきます。こうした反発力を押さえるために強力な軍事力を育てるようになります。このような資本の独占、金融資本の支配、植民地獲得競争、強大な軍事力を用いて、豊富な資源と安い労働力を求めて海外に進出する動きが「帝国主義」と呼ばれるようになりました。

イギリスの帝国主義的海外進出を[図表2]に示します。イギリスはまずアフリカ、アメリカとの間で「三角貿易」を始めました。アフリカから大量の奴隷をアメリカに運び、アメリカで綿花栽培を行い、アメリカで生産された砂糖や綿花をイギリスに運び、イギリスからは毛織物や火器をアフリカ支配のために送るというイギリスの支配関係でした。

次に産業革命を経たイギリスはインド、中国との間で三角貿易を始めました。イギリスの繊維工業で生産した綿織物をインドに送り、インドからアヘンを中国へ輸出させます。

アヘンを中国に売り込ませる作為に中国は反発しますが、アヘン戦争で敗れ、イギリスによる中国への植民地的進出が進みます。そして、中国からお茶をイギリスへ輸出させるという支配関係が出来上がります。

イギリスはロスチャイルド財閥に代表される金融大国に発展し、インドで綿花、石炭、紅茶の輸送のために鉄道への投資を行います。そして、1877年イギリス領「インド帝国」を作りました。

写真を拡大 [図表2]イギリスの帝国主義的海外進出

イギリス、フランス、ドイツの帝国主義的進出と第一次世界大戦までの流れを[図表3]に示します。

写真を拡大 [図表3]各国の帝国主義的進出と第一次世界大戦

イギリスは1875年にはスエズ運河株を買収して、インドへの航路を確保します。自動車のタイヤにつけるゴムの需要が増大したため、ブラジルからゴムの木の種子を盗み出してマレー半島でのゴム生産を始めます。

イギリスはアフリカを北と南から植民地化していきます。これに対しフランスは東と西からアフリカへの進出を進めます。

一方、産業化の遅れていたドイツは1871年にドイツ帝国を打ち立て、鉄鋼産業、電気工業、化学工業の急速な発展を進め、海外への進出を進めます。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。